2008年12月27日土曜日

クリスマス、年末、そして Kwaheri 2008

Hamjambo

昨日はクリスマスで祝日でした。そして今日のボクシングデーも祝日です。イスラム教徒とキリスト教徒が仲良く暮らしているタンザニア。キリスト教徒、イスラム教徒、いろんな人から携帯にメッセージをもらいました。「メリークリスマス!」と汗をだらだら流しながら言ってると、本当にクリスマスなのか疑いたくなりますけれど。

12月が学年末のタンザニアでは学校も今はお休みで1月から再開です。私も明日から1週間、休暇をとって同期隊員のところを訪れるつもりです。

さて、今年2008年もあとわずか。タンザニアに来てから半年、配属先に配置されてから5ヶ月も経ってしまいました。びっくりです。途中、家探しや引越しがあり、こちらの人たちの仕事の進め方にイライラし、疲れ、活動は停止状態、という日々もありました。

休暇の前に、大変お世話になったテメケ区の教育長が突然転勤することを知らされ、涙が出そうになるぐらい残念で淋しく感じました。この方は本当にすばらしい人だったので、退職まであと2年なのにもかかわらず、他の地域に引き抜かれてしまいました。この方がいなければ、私は今、こんなに安心して生活できていなかったかもしれないと思うぐらい、仕事もあまりできず言葉もよくわからない外国人の私のことをとても気遣ってくれました。

引越しの件では色々ありましたが、この教育長だけでなく、配属先のカウンターパート(仕事のパートナー兼、隊員担当者のようなもの)や同僚の人たちに支えられ、なんとかこちらでの生活にも少しずつ慣れてきました。新居の大家さん一家もとてもよい人たちで、安心して生活できています。スワヒリ語については、歳(?)によるもの覚えの悪さも少々感じながら、「最近は前より少しできるようになってきたね。」とカウンターパートにも言ってもらえるようになりました。(でも実はまだまだなんです。。本当に大変!)配属先の同僚は「ここの人たちを家族と思いなさい。」と言ってくれましたが、本当にそんな感じがするくらい、配属先は安心できる場になりつつあります。

活動はなかなか思うように進んでいませんが、小学校6校、合計120人へのアンケート調査は一応なんとか終了することができました。1月からはカウンターパートが「データ収集も手伝ってね」と言っているので、少し忙しくなるのかなと思っています。あとは、もう少し積極的に外に出て活動もしてみたいと思っています。
(小学校での調査の様子。調査の前に日本のことについて少し説明したり、一緒にじゃんけんをしました)
さて、2008年、皆様には大変お世話になりました。どうかよいお年をお過ごしください。

Tutaonana!

2008年12月22日月曜日

タンザニアで作ろう!

Hamjambo!

 先日、協力隊員の総会が開かれました。タンザニア中の協力隊員が一同に集まり、活動やそれに関わる事項について話し合いの場を持ちました。色々な隊員の活動なども聞くことができ、とても有意義な時間を持つことができました。

 さて、総会ではいわゆる「正装」で参加することが求められます。男性はスーツにネクタイ着用とのことでした。女性は。。。というと、日本のドレスコードとともに、タンザニアのドレスコードも適用されました。つまり、タンザニアでいわゆる正装と呼べそうな服装はオーケーなのです。この総会にあわせて服を仕立てる隊員もいるとか、いないとか。

 ここタンザニアでは既製品よりも仕立て屋さんに仕立ててもらう服のほうが多いように思います。気に入った布を買い、それを仕立て屋に持ち込んで好きなデザインの服を作ってもらうのです。オフィスなどでも一般的なのは、キテンゲと呼ばれる布で作ったブラウスと長めのスカートを上下セットで着るスタイルです。その他、カンガと呼ばれる布もあり、それで服を作ることもありますが、女性が家事をするときに上から巻いたり、ジーンズなどの上に巻いたりするものでどちらかというとカジュアルな場で使うもののようです。

 2日間の総会のうち、私も1日目は日本から持っていったスーツを着ましたが、1日はこちらに来て作った上下キテンゲのドレススーツを着ていきました。女性隊員はそれぞれタンザニアスタイルや少しアレンジしたものなど、さまざまなものを着ていて見ていてとても楽しかったです。

(上下のブラウスとスカート、何かの機会に1枚は必要と思って仕事を始める前に作ったものです)

 人の服を見ながら、「うーん、こんな風なこともできるんだ!」とか「こんなふうに布の柄を合わせるとかわいいかも!」など、色々考えるのはとても楽しいです。そして実際に布を選んで、作ってもらう。この楽しみはタンザニアならではのものです。ちなみに、気になるお値段ですが、キテンゲは大体4メートルが基本(上下作ることができます)で、日本円で400円から600円、700円も出せば普通に買うことが出来ます。仕立て代もせいぜい1000円から1500円ぐらいでしょうか。腕がいいと評判で、外国人ご用達の職人さんは少々高めですが、それでも2000円ぐらいです。こんなに安くて楽しいことはありません。次は何を作ろうか、どんな布を買おうか、考えるとわくわくします。

            (つい最近作りました。下にズボンをはこうと思って丈は長めです。)

私はまだ2回しか作ったことがありませんが、これから少しずつ挑戦したいと思います。

          (同じ布でスカートも作りました。これはそれほど丈が長くないスカートです。)

Tutaonana!

2008年12月9日火曜日

世界エイズデー



Hamjambo!

ここ、タンザニアでも、真夏のジングルベルを聞くことが多くなってきました。クーラーのかかったスーパーの店内にはクリスマスツリー。洋服の仕立て屋さんは、季節物のサンタの絵のついたクッションカバーをお仕立てして売り出し中。暑くても少しずつクリスマスが近づいていることを感じさせられます。

12月1日は世界エイズデーです。ここタンザニアも当然各地でたくさんの行事が行われました。私の配属先、ダルエスサラーム市、テメケ区でも区役所が企画したイベントが行われました。
             (キバシラ小学校の子どもたち。英語を教えています。)

地域で活動するいくつかのママさんグループ、HIVポジティブの人たちの団体、青少年グループなど、たくさんのグループが集まりました。私が英語を教えに行っている小学校の子どもたちも歌と踊りを披露しました。

踊り、歌、太鼓、劇などがあり、検査の場所なども紹介され、検査を受けましょうと訴えていました。
                     (色々な団体がパレード)

役所にはエイズ対策の委員会があります。私も教育課の同僚で、その委員会のメンバーの人と一緒に出かけました。他にもメンバーには、HIVポジティブの人もいます。メンバーになっているある女性はHIVウィルスに感染しながら、AIDSを発症することなく長年元気に色々な活動をしています。HIV感染者やAIDS患者に対する偏見や差別をなくすため、彼女はみずから被写体になり、彼女の写真はポスターに利用されています。ラジオなどでも話をすると言っていました。

役所が主導のイベントだけでなく、そういった団体が自主的にイベントを行うケースもあって、タンザニア各地でたくさんのイベントが行われました。日本では、気がつかないだけで本当は誰もが感染する可能性があるのに、なんとなく遠いところの問題に思ってしまう傾向があるように思います。自分も日本に居る時、他人事のように感じていましたが、ここでは本当に差し迫った問題という感じがします。

2008年11月30日日曜日

小学生80人に聞きました

Hamjambo!

日本はそろそろ師走ですね。ここでは日に日に暑さが増すこのごろです。

最近、引越しをしました。以前はバスに乗ったりして片道約50分の道のりを通勤していましたが、新居からは配属先まで歩いて15分ぐらいとなりました。大家さん一家も同じ敷地に住んでいるし、職場の同僚もご近所さんなので、安心です。

(あたらしい家の隣にある、雑貨屋さん。ちょっと南国風でいい雰囲気。お菓子や水、生活用品、電話のプリペイドカードなどを売っています。)

さて、いいかげん、今日は少し私の活動について書きます。

私の仕事は青少年活動ですが、活動が始まって4ヶ月。まずは現状を把握するということで、学校を訪問したり、地域の青少年グループを訪れたり、週に1回近所の学校で英語の授業の手伝いをしたり、ということをまあ、やってきました。

現状を知るという活動の一つとして、いくつかの学校で、日本の紹介を少ししたあとにアンケート調査をしています。日本紹介はほんの少しだけですが、みんなにリラックスしてもらう目的も兼ねていっしょに「じゃんけん」をおしえてやってみたりしています。何度言ってもみんなどうしても「じゃんけんプン!」ってしか言えないのはなんででしょうかね。

さて、アンケートについては、基本的な生活や興味を尋ねながら、HIV・AIDSや薬物乱用について尋ねるものでした。日本の生徒ならどう尋ねたらいいかと考えながら、同時にこの国だったらどんな選択肢が必要かと考え、カウンターパートに見てもらい、何人かにテストして完成させました。

合計で120人の生徒に尋ねる予定ですが、現在小学6年生80人終了しました。

さて、結果について。

<好きな教科>
一番多かった答えは「算数」でした。次が「英語」。タンザニアでは小学校1年生から英語を習います。あとは「理科」「スワヒリ語」「社会」、少数ですが、「宗教」などが続きます。

<学校生活で一番好きなこと>
「勉強」が1番でした。「友達と遊ぶ」という回答よりもずっと多かったです。

<学校生活で嫌いなこと。>
一番は「友達がいじめる」でした。何を「いじめ」としているのかは正直わかりませんが、子どもたちを見ていると、よくたたいたり、何か言い合ったりしています。色々あるのかもしれません。
2番は「先生が棒でよくたたく」、3番は「学校のトイレを使うこと」でした。

<生活で不安に思っていること>
「HIV・AIDS」、「薬物」、「将来の進路」の3つが特に多かったです。
「勉強が難しい」とか「友達のこと」というのは非常に少なかったです。

たぶん日本のこどもと答える内容は違いますよね。 <生活で不安に思っていること>という項目で、一応、HIVとか薬物とか入れましたが、まさかこれほど多くの子どもが不安だと答えるとは正直思っていなかったのでびっくりしました。

あと、一番驚いたのは<友達と薬物について話をしたことがありますか?あればどんなことを話しましたか?>という質問についてです。少数、でも10%ぐらいの子どもたちが「実際に麻薬を使っている友達について話したことがある。」と答えました。

いかに麻薬の問題が身近であるか、自分自身も気付かされました。こちらでは「バンギ」とよばれるタバコのような麻薬が出回っていて安く手に入るそうです。配属先の人の話だと、子どもが運び屋のような仕事をしていることもあるそうです。

普通に生活していると、全く見えない問題点がいくつか見えてきて驚きました。この結果をみて、自分の活動を今後どうするのかが、ほんと正直、大問題です。

Tutaonana tena

2008年11月23日日曜日

配属先が新聞に載ったこと

Hamjambo!

 今日は土曜日。ダルエスサラームで、日本・タンザニア フレンドシップ 空手大会が開催されました。空手隊員も活躍し、少しのぞいてきました。タンザニアでもいくつかの地域で空手教室があるらしく、10ぐらいのチームが参加していて驚きました。でも、見ていると、空手はともかく、日本の挨拶の「礼」とか、やっぱり彼らにはちょっと難しそうだし、慣れてなかったように見えました。

 さて、今日は私の配属先、ダルエスサラーム市、テメケ区役所、教育課が管理している学校で起こったちょっとした?事件についてです。。




     (私の配属先、テメケ区役所です。立派な建物だけど、教育課は別棟の平屋です。。。)

 この月曜日、突然、私の同僚が学校視察に行くことになり、ついていく事にしました。


 まず、一校目の学校へ行くと、先生たちが外でお茶を飲み、子どもたちが遊んでいます。「この学校は休み時間が長いなぁ~。」と思っていました。


次の学校では、生徒たちは全員教室に居ますが、先生たちは外で集まっておしゃべり。。。


次の学校は中学校でいつも通りに授業をしていました。


この訪問は、実はいつもの訪問とは違って、全国的に展開された先生たちのストライキの状況を見に行くというものだとあとで知らされました。先生たちは数年間お願いしても据え置きになっている昇給や休暇などのお願いや、給料の未払い等が100%満たされるよう要求しているとのことでした。


さて、帰って教育長に状況を報告し、その日、私は同僚と帰宅しました。


次の日。火曜日は一番近くの小学校へ教えに行く日。この日もストライキが続いているとは聞いていましたが、一応学校へ。生徒は教室、先生は職員室の状態。でも私が行くと、「授業をしてね。」と言われて、とりあえず自分ひとりでディクテーションの練習をさせました。


そして!!ここからが、びっくり。区役所に帰ってくると、区役所の周りに子どもが制服を着たまま走り回っています。それもなにやら歌のようなものを歌いながら。その数。200人以上はいたのでは。そして同僚は一人も事務所におらず、オフィスは扉が閉まっています。


どうしたのかと思うと「子どもたちがたくさんきたので、見に行ったよ!」と事務員の人に伝えられました。「Tunataka Haki Yetu!(僕らは僕らの権利がほしい!)と歌っていたよ。」と教えてくれました。



次の日の新聞を見ると、なんと私たちの所属するテメケ区役所の教育長さん(この方には本当にお世話になっています)のコメントが載っています。あの日、4校の小学校から来た子どもたちは教育長さんに、中には約7キロメートルの道のりを歩いて会いに来たのだそうです。そして、「次の日、試験なのに先生たちはストライキをして、授業をしてもらえません。先生たちの訴えを聞いてください。」というようなことを言って帰ったようです。


新聞に載った教育長のコメントは、「小さな罪もない子どもたちがこのような行動を起こさねばならなかったのは、残念また遺憾に思います。。うんぬん。。かんぬん」というようなものでした。


うーん。なんというか。小学生の子どもたちだけの考えでここまでできるのだろうか。。。と少々考えてしまいました。もしかしたら、先生のちょっとした入れ知恵があったかもしれません。それに7キロの道のりを子どもたちだけで歩かせるのもどうかと、個人的には思います。。。まあ、据え置きとなっている昇給等は2005年ぐらいからなので、先生たちの行動も無理がないのかもしれません。


その後、多くの学校で期末試験は予定通り行われたようです。また、先生たちの要求も一部、満たされたようで、掲示板にはたくさんの先生の名前と登録番号は張り出されていました。。。


めったにないことだったようですが、ちょっと驚きました。


教育長さんに、「あなたのコメントの載った新聞をとっておくことにしたよ!」と一応伝えました。教育長はいつものとおりのさわやかな笑顔でした。


Tutaonana

2008年11月15日土曜日

オバマはどこの国の大統領か!?

Hamjambo?

さて、小雨季も本格的。雨が降ると一部の道路は水に浸かってしまって通行が大変です。毎日乗るダラダラは深い水もなんのその、ものすごい勢いで大きな大きな水しぶきをあげ、なかなかのスピードで進みます。車はこんなに水につかってもまだ大丈夫なのかと関心してしまいました。

             (雨の日にひとつの傘を3人で使って学校に行く子どもたち)
さて、アメリカ大統領選、日本ではどんな報道だったのでしょう?大統領選の次の日、職場で、「日本に小浜って町があるんでしょ?町民がオバマのTシャツ着て喜んでるところをテレビでみたわよ。」って言われたんですけど、本当ですか???小浜町はタンザニアでも知られていますよ。(BBCなどで世界各国の放送がここでも見れるようです。)

大統領選はタンザニアではみんなの関心の的。オバマ氏が大統領に決まった次の日、みんなとても嬉しそう。「オバマが勝ったわね。とても嬉しいわ!」とか「今日はお祝いにビールを飲むわ!」と言っている人もいました。その喜び方は、自分の兄弟や家族のことを喜ぶような様子です。ラジオでも、オバマ氏が大統領になったことについて一般のリスナーがコメントを述べるという番組が次から次へ。一日中、オバマ、オバマ。新聞もオバマ、オバマ、オバマ!

私がいつも行く食堂でも、熱い議論が交わされていました。スワヒリ語がまだ不十分なので詳しくは何を言っているのかわかりませんでしたが、ビールを飲んでいるおじさんと、食事をしているお兄さんの議論が白熱!!ついに・・・

おじさん:「○×☆△・・オバマ!・・○△☆・・マレカニ(アメリカ)!○△・・・!!!」(最後に机をたたく。昼間から少々酔っ払っていたのかもしれませんが。。。)

おじさんは大興奮!最後は大声になり、食事をしていた私はびっくりして飛び上がりそうになりました。おじさんは途中で用事を思い出したみたいでしたが、「すぐ戻る。そのあと続きだ!」と出て行き、タンザニア人にはめずらしく(タンザニアでの「すぐ」はあてにならない気がします。。)、約束どおりすぐ戻り、議論は続きました。途中やっぱり大声。

でもオバマ氏ってアメリカの大統領ですよね。タンザニアとの関係は?というと。

1. オバマ氏のお父さんはケニア出身であるので、身近に感じる。(ケニアはタンザニアの隣の国。でもねぇ。近いけどタンザニアの出身じゃないのですよね。)
2. アフリカにルーツを持つ「黒人」初のアメリカ大統領。同じ肌の色ということかな。ちなみにオバマ氏のお母さんは「白人」らしいですね。
3. アフリカへの援助が変わるかもしれない、多分、増えるのではという期待?
これはあくまで私の考えです。

しかし、タンザニアでは「黒人」であることで、差別される可能性があると感じている人が多いのかもしれません。その「黒人」であるオバマ氏が大統領になったことの意味はここではとても大きいのかもしれません。

時々、タンザニア人の中にも「日本ではこの肌の色だと問題でしょう?」というようなことを尋ねてくる人がいます。「日本人は黒人と話をしてくれるの?」というようなことを聞かれたこともあります。

「日本では全然問題ないよ。」と私は答えています。そうすると、相手はとても安心します。私は日本に住む多くの人は良識のある人間だし、日本はいい国だと信じているのですが、みなさんどう思われますか?

Tutaonana

2008年11月1日土曜日

タンザニアの日本人~その2~

Hamjambo!

 タンザニアでは1月頃が一番暑くなるそうですが、その前に小雨季があるそうです。このところ、ちょくちょく雨が降り、そろそろ小雨季に入ったかなぁと思うことがあります。先日も一日中雨が降っていました。この日の朝、雨が止みかけていたので、傘を持たずに出かけて大変な目にあいました。。。。

 さて、もう少しだけ前回の続きです。

 日本の車はたくさん走っているのに、この国の人は東洋人を見ても日本人と思うことはほとんどない、ということはおわかりいただけたと思います。中国人、日本人、さらに韓国人の区別は難しいようです。ジャッキー・チェンやジェット・リーは日本人と思っている人にも何人か会いました。。。

さらに困ったことが。。。

職場でのある日の会話

同僚:  「さて、ノリコ、私は質問があるの。」(いかにも難しいことを尋ねるような調子。)
私:    「何?」
同僚:  「どうして、日本人はみんなそっくりなの?」(あくまで真剣)
私:    「えぇ~!!?? いやいや全然ちがいます。」(のけぞりそうになった。。。)
同僚:  「ほら、前にいた日本人の○○さんはあなたにそっくりよ。」
私:    「えぇ~!!!」(写真をみたけど、目がぱっちりしていて私と大違いだぞ!)
同僚:  「それに、別の課に今いる○○ちゃんもそっくりだし。」
私:    「う~ん。それは。。。」(二人とも眼鏡をかけているけど。。。)

こんな調子なので、「私がクラスメートと一緒に撮った写真だよ。」と言って写真を見せても、「この子はあなたの妹?」などど、真面目な顔をして聞いてきます。いやいや、彼女の場合は私と全然ちがう顔立ちだぞ~!!これはありえない。よく見てよ!とめちゃくちゃつっこみたくなりますが、あくまで相手は真剣です。

こんな調子なので、同じ隊員を紹介する時に「兄弟です。」とか「姉妹です。」と言ってもみんな普通に信じると思います。そんなにアフリカに兄弟姉妹が来てるわけないぞ~ということはきっと考えないと思います。(でも、数回しか試したことはないです。ですが、すぐ信じるので慌てて否定しました。)

私のほうはタンザニア人の顔だちに慣れてきて、「そっくりで区別がつかない」ということは殆どありませんが、時々、ある人のことを全く別の人と思い込んで話しかけたりしたこともあります。まあお互い様なんでしょうかねぇ。。。

この点、ほかの国にいる隊員の方にどんな体験をしたのか尋ねてみたいものです。

Tutaonana

2008年10月25日土曜日

タンザニアの日本人

Hamjambo!
 
 こちらに来てから4ヶ月が過ぎました。青少年活動については、まだまだというのが正直なところです。ですが、少しずつオフィスを出て、学校や若者のグループを訪問することも増えてきました。

 自分の職場は、これまで日本人のボランティアを3人受け入れていたので、「日本人」には慣れていると言えます。しかし、一歩そとに出て、それこそ町の中心部から離れると、「私」という人間は注目の的です。協力隊員は世界各国どこでも同じような体験をしているのではないでしょうか。

さて、色々と声をかけられますが、タンザニア人が私のことを何と呼ぶかと言えば。。。。

1.「チナ(中国人)」
2.「ダダ(お姉さん)」
3.「ママ(おばさん??ってことか!?)」
4.「ムズング(白人)」

このあたりでしょうか。しかしながら「チナー!!!」と呼ばれることが圧倒的に多いです。ダラダラに乗っても、「チナー、どこに行くんだい?」「チナー、ちょっと奥へ席を移動してよ!」とか。。。

 タンザニアの東洋人で一番多いのはたぶん中国人でしょう。自分たち日本人は微妙な違いで日本人か中国人かなんとなく判断できますが、タンザニア人にとってはみんな同じ。仕方ありません。

 面倒くさいので、黙って聞いていることがほとんどですが、たまに、悪意があるかと思われる、こちらの気分を害するようなしつこい人がいるので、そういう時は「私は日本人よ。」とあえて言うこともあります。

 あとは子どもたち。仕事で通っている学校の子どもたちはだいたい理解してくれているので、「ムワリム(先生)」とか「ノリコ」と呼びますが、初めて行く学校の子どもたちは一斉に「チナー!チナー!」と屈託なく面白がって呼びます。今日もまた。。。

今日の会話はこんな風でした。

子ども:   「チナー!チナー!へーホーフー」(中国語がこう聞こえるらしい)
私:     「ンジョー!!」(こっちへいらっしゃい!)
こども:    「・・・・」(恐る恐る来る)
私:      「誰が私のことを中国人って教えたの?」
こども:    「あっちにいる子。。。」
私:     「いい?大人に会った時まずなんていうのよ?」
子ども:   「・・・・」
私:      「シカモー(目上の人への挨拶)って言うのでしょ?」
子ども:   「シカモー」(ちょっと声が小さい)
私:      「それに私はノリコっていう名前で、日本から来ているの。」
子ども:   「・・・」(意外な答えに驚いたようだった)

今日会ったもっと小さい子たちは、「私はノリコって言うんだよ。」と伝えてから「日本から来たの」というと、まさに「ほぅー。」となんとも言えない声を発していました。こちらの勝手ですが、小さい時からの教育が大事だと思うので、あえて子どもに説教したりすることもあります!?自分のスワヒリ語はまだまだですが、この手の会話は哀しいことに慣れてきました。

あと、大人でたまにあるのが、「ムズング(白人)」を連発する人です。これもしつこく言われると正直、気分が悪くなります。

人間、自分のことを誤解されると気分が悪くなるのだというのを、再認識します。

しかしながら、こういう状況を逆の立場で考えると、「外人、外人」と色々な国から来ている人たちをまとめて呼んでいることが日本でもまだありますが、これも同じことですよね。

私は名前がわからなければ、タンザニア人がタンザニア人を呼ぶように呼んで欲しいです。

あっ、でもやっぱり「ママ」と呼ばれるのはちょっと。。。「ダダ」がいいなぁ。わがままですかね。

Tutaonana 

2008年10月18日土曜日

10月14日はニエレレの日

Hamjambo!  (今回は最後に貴重な写真を載せました!?

 ダルエスサラームはこのところ、少しずつ暑さが増してきているように感じます。タンザニアは南半球に位置するので、12月、1月が1年で一番暑くなります。タンザニアは今、まさに夏に向かっているといったところです。乗り合いバスのダラダラの中の気温も上昇中で、まさに汗がダラダラ。。。。
 
 さて、タイトルの「ニエレレ」とは、タンザニアの初代大統領の名前です。10月14日は『ムワリム(先生)、ニエレレの日』という国民の祝日で仕事も学校も休みになります。
 10月14日はニエレレ氏が亡くなった日です。彼は1999年の10月14日にロンドンの病院で亡くなりました。ラジオからはニエレレの歌を聞くこともあります。小学校などで教えているようで、タンザニア人なら誰でもこの歌を歌うことができるのではないかと思います。
 
 ニエレレ氏は国民にとって、指導者であり、師であり、『国家の父』でもあり、亡くなってから10年近く経った今でも大変尊敬されています。なぜこれほどまでに尊敬されているのか、タンザニア人が考えるのは以下のような理由のようです。

1.イギリスの統治から独立を勝ち取った!
2.しかも、一滴の血を流すことなく!
3.国連で、「英語」ではなく、初めて「スワヒリ語!!!」で演説をし、独立を訴えた!
4.タンガニーカ国とザンジバル国の統合に成功し、タンザニア連合共和国の建国に成功した! (ザンジバルはイスラム教徒90%以上の島)
5.しかも平和的な手順で!
6.スワヒリ語を国家の言語とし、多様な部族を統一した!(おかげで今ではどこでもスワヒリ語で意思疎通ができる!)

・ ・・などなど、彼の功績は大きく、また人間的にも尊敬されていたようです。合計で、24年間もの間大統領の座に就き、最後は自ら権力の座から退きました。


さて、学校や職場、お店などにはニエレレ元大統領の写真、キクウェテ現大統領の写真の2枚が飾ってあるところがたくさんあります。私の働いている区役所の教育課でも、教育長の部屋にはこの2枚の写真が飾ってあります。

(ボロボロですけど、こちらの1000タンザニアシリング札です。ニエレレ大統領の肖像が印刷されています。)


 現在の大統領のキクウェテ氏もかなり尊敬されている人物と言えますが、この国家の父、ニエレレ氏を超えるのは難しいでしょう。キクウェテ氏の写真は、残念ながら任期が終われば別の人物の写真に張り替えられるのかもしれませんね。

Tutaonana


おまけ!


 ニエレレの日にダルエスサラームの海に行きました。100シリングでフェリーに乗って対岸に渡るととても海がきれいです。ここはプライベートビーチ、5000シリングかかります。日本円だと500円ぐらいだけど、毎月約4万円で暮らす隊員としてはちょっと贅沢した感じです。私ちょっと太りました???

2008年10月4日土曜日

ダルエスサラームという都市

Hamjambo!

10月2日はラマダン最終日。10月1日と2日は祝日でした。でも、この祝日がくせものです。満月かどうかを2,3日前に確認して決めるので、直前までいつが祝日かはっきりわかりません。日本人的には「なんでや!!」と思ってしまいます。だって、満月って計算すればわかるものじゃないのですか??? 祝日が直前に決まるということが理解できず、祝日がいつなのか尋ねても、「月に左右されるからわからない。」と答えるタンザニア人になんで教えてくれないのかとイライラしていました。でも、本当に分からなかったみたいです。。。。

(ミレニアムタワーというビルの上から撮影したダルエスサラーム市、緑も結構ありますね。)


さて、今回は私が住んでいるダルエスサラームを写真も載せて紹介したいと思います。写真をこれまでにも載せたかったのですが、ダルエスサラームでは気軽にカメラを取り出して撮影するのは安全上、少々はばかられます。また、公共の施設には撮影することを許されない所も多いですし、勝手に撮影されるのを嫌う人も多いそうなので、写真を撮るのは気を使いました。
 ダルエスサラームの中心部は道路もきれいに舗装されていて、バスのダラダラも含め、だいたい車の90%以上は日本車なので、景色を見るとあまり異国に居る感じがしない時があります。中心部はオフィスビルが結構あり、ビジネスマン、キャリアウーマン風のタンザニア人をたくさん見かけます。また、中心部は100年ぐらい前に移住したインド系の住民も多く、彼らにスワヒリ語で挨拶しても、英語で返事が返ってくることも多いです。

(町の真ん中です。ちょっと高いビルが集まっているところです。日曜日なので車は全く見えません)


 一方で、中心部を車で20~30分離れ、私の職場のある南部のテメケ区へ行くと、多様な景色に出会います。ごちゃごちゃと住宅が建ち、都市周辺の人口密集地もあります。日本の消防法が適応されたら絶対にアウトと思われるほど、細い路地の奥にまで家が建っている所もあります。 
 また、フェリーで 湾の対岸に渡ると、そこはまさに「村」です。ここもダルエスサラームのテメケ区になります。青い海が見え、未舗装の道路、家はまばらにしか建っていません。牛も見かけます。歩けば牛の糞があちこちに落ちています。

(道路の向こうに市場が少し見えます。右側のマイクロバスがダラダラです。行き先によってストライプにペイントされている部分の色が違います。先日、「四日市」という文字が残ったままのダラダラを見かけました。)


 中心部の海岸沿いはホテルもいくつかあり、世界遺産のあるザンジバル島に行くフェリー乗り場があります。また、北部の半島の先はちょっと高級な住宅が多いように思います。ここはテメケとは別の区になりますが、青い海、リゾートホテル、高級住宅、ショッピングモール。。。同じダルエスサラームでも様子が違います。

(スリップウェイというショッピングモールから見た海。対岸はホテルが何軒か建っています。)


 ダルエスサラームの住民はタンザニア各地の出身者で構成されているように思います。上にも書きましたが、インド系の住民も町の中心にはたくさんいます。また、外国人も結構見かけます。東洋系で言えば、以前に社会主義だったことも影響しているのか中国人も多いようで、中華料理屋もたくさんあります。また、世界各国の料理をここで食べることができます。(ただし、お金があれば、、、ですけれど。)
どうですか?ダルエスサラームに来てみたくなりましたか?

Tutaonana tena

2008年9月21日日曜日

タンザニアの食べ物

Hamjambo!

ラマダンも中盤を過ぎ、自分の住んでいる場所の近くに大きなモスクがあるので、このところ夕方になると道路にたくさん車が停まっているのを目にします。夜の10時ごろから太鼓や歌が始まったり。。。にぎやかな夜です。こちらでは、断食を途中であきらめた人のことを、「Kobe(カメ)」と呼ぶようです。同僚の説明によると、「カメは何でも食べるからだ。」ということですが、本当かなぁ。。。職場にはキリスト教徒の人も居ますから、断食している人の前でチャイをしようとすると、「カメになったのね。」と言われてしまいました。お水も日が暮れるまで飲みませんから大変ですが、イスラム教徒の人には「慣れたら大丈夫。やってみたら?」と言われます。

さて、タンザニアでどんな食事をしているのか気になる人も多いのかもしれませんね。こちらは、野菜や果物も豊富ですし、ダルエスサラームは海が近いので魚介類も採れます。主食はウガリ、米、バナナ、ジャガイモなどなどです。お米も結構食べますし、お店に行っても普通にお米が食べられるので日本人としては有難いです。
(野菜や果物、どこでもだいたい手に入ります。道端で売っている人も多いです。)

 肉類は牛、鳥が中心です。イスラム教徒がいるので、豚肉は売っているところが全く別になっていますが、レストラン等でも結構食べられます。あとはヤギ、羊もあります。値段は牛が一番安くて鳥や魚は値段が高くなります。

タンザニア人に「好きな食べ物は?」と尋ねると、多くの人が「ウガリ」と答えます。お米もいいけど、やっぱりウガリみたいです。(トウモロコシの粉をお湯で伸ばしてこねたもの。ちょっとお餅みたいです。)野菜はトマト、キャベツ、にんじん、ジャガイモ、サツマイモ、ナス、オクラ。。。大体なんでもあります。葉っぱ物は、ムチチェと呼ばれる「ほうれん草」みたいなのや、チャイニージと呼ばれるちょっと白菜っぽいのがあります。ムチチェは油でいためて塩で味付けしたものが、必ず食事のつけ合わせで出てきます。 (タンザニア人のお家でご馳走になりました。彼女の住む地域はウガリよりお米をよく食べるそうです。)

 味付けは何でも塩、塩、塩です。塩だけですが、油でいためて、ココナッツミルクなどをいれてトマトで煮るとコクが出て、とても塩だけで味付けしたとは思えず結構おいしいです。塩分と油のとり過ぎに気をつけないといけないと感じるこの頃です。でも何でも醤油で味付けしていた日本の生活を考えると、塩分に関して言えば日本とそれほど違いは無いのかもしれません。ですが、やっぱり12月の健康診断がちょっと恐怖ですね。

Tutaonana

(お店で食べた、ウガリと鶏肉。2500シリンギです。ちょっときれいで高めです。日本円で250円から300円ぐらいです。)

2008年9月13日土曜日

小学校修了試験

Hamjambo

 9月に入り、タンザニアでもラマダンが始まりました。この頃は “Umefunga?”「あなたは閉じてる?(断食してる?」というのが挨拶のひとつになっています。

そんな中、9月10日、11日は小学校7学年の全国統一テストがありました。小学校の最終試験で、この結果が中等学校への進学を左右します。
「日本でも試験はあるの?」とよく聞かれましたが、小学校4年生でも進級試験があるタンザニアと日本では全く様子が違うと思いました。

私の所属する教育課でも、8月の下旬からこの試験の関係の会議、セミナー等々、役所の人たちはとても忙しそうでした。そしてテスト当日は朝の4時頃には皆さん職場に来て、それぞれ担当の学校の視察に回っていていました。試験は不正等々を避けるため、警察なども介入し、とても厳重な監視の下に行われますので、私はお留守番でした。

 新聞の報道によると、今年度は全国で1,047,200人の生徒が試験受けることになっています。なんと、これは前年度比31.87%増だそうです!!今年度は2002年から始まった小学校全入学を推進する政策(The Primary Education Development)によって、年齢が上の生徒たちも小学校に入学している学年なので生徒がとても多いそうです。

 こういった教育政策の成功を報道する記事がある一方、学校を途中で辞めてしまう女子生徒の問題が取り上げられています。地方で特に多いようですが、小学校で妊娠してしまう生徒、十代での結婚、学校が遠い、十分な寮が無い、家庭が貧しいための児童労働、などなどの理由で女の子のほうが男の子よりも多く学校を途中で辞めてしまうそうです。男女あわせてですが、約30%の生徒が小学校を修了せずに辞めているといわれています。これから中等学校拡大の政策により、中等学校へ進学する生徒が大幅に増加すると予想されますが、彼らがうまく中等学校教育を修了できるかが今後の課題かもしれません。
(試験が終わって喜ぶ生徒の写真が載った新聞。その下の記事は試験が盗まれ、逮捕者が出たことがかいてありますが。。。。。)

 しかしながら、タンザニアでは「教育こそが貧困から抜け出す道である」、「教育はすべての基礎である。」等々の表現を新聞の中でも多く見ます。この国では今、教育の質の向上も含め、教育に力を入れていることが伝わってきます。そういう意味で、未来への希望を感じます。

机はないし、教科書もない、教室には生徒が溢れ、水やトイレの設備も整っていない学校もあり学習環境はよくないですが、子どもたちはとても明るく元気で、自分も学校へ行くと元気がでます。それはもう、楽しいですよ。

来週また学校へ行ってきます。

Tutaonana tena.

2008年9月6日土曜日

エイズとともに生きる



Hamjambo!

日本では夏休みが終わり、2学期が始まったところですね。こちらはそんなことはありませんが、小学校の最終学年(Standard 7)の全国統一テストが9月10日、11日にあるので、私の所属する教育課もテスト関連の会議やセミナーで大忙しです。

さて、タイトルに書いた「エイズとともに生きる」ですが、タンザニアでは15歳から49歳までの成人の感染率はおおよそ7%と言われており、とても身近な問題と言えます。100人に7人は感染している、という事実。母子感染による子ども、そして50歳以上の人を含めたら一体どうなるか。。。
               (エイズ対策の政策を子ども向けに説明しているパンフレット)



私が仕事をしているテメケ区にも多くのエイズ患者さんがいらっしゃると考えられます。また、患者さんを支援しているグループもたくさんあります。先日、そういったグループで活動する人たちに連れて行ってもらって、患者さんのお家を何軒か訪問しました。支援しているグループの人たちも多くはHIV感染者です。ですが彼らはとても元気で明るく、今は薬の発達でエイズは必ずしも「死」を意味する病気ではなくなったことを実感しました。自分たちは薬の治療によってとても元気になったので、ひとりでも多くの人たちが自分たちのように元気になってほしいと活動しているそうです。

誤解を恐れずに言うと、病気による苦しさだけについては、エイズと同じように大変な病気はいくらでもあるように思います。ただ、この病気についてはまだ偏見や差別も残っていることがひとつ大きな問題なのではないかと思います。その点でいうと、タンザニアのほうが日本よりも理解が進んでいるのではないかと思うこともあります。感染者同士の結婚への理解や学校や学校外でのエイズ教育もかなり進んでいるように思います。

さて、こんな話がありました。

 ある患者さんのお家を訪問した時に、7,8歳の子どもがいたのですが、母子感染により彼女も感染者だと説明されました。そのため、小学校へ行く年齢にも関わらず、その学校の先生から入学を拒否されたというのです。そして、その話を聞いている場に一緒にいたタンザニア人たちが、「こういう感染者の子どもたちのために特別な学校を作ってくれ!」というのですが。。。みなさんはどう思いますか?

 私は別の学校を作ることが解決策だというのはおかしいと思いました。「どうして拒否されるの?」と尋ねると、「そういう病気だから。」という返事。「もし、先生が拒否したと政府や教育課が知ったらどうなるの?」と私。。。返事ははっきりしません。ということで、教育課で尋ねることになりました。

病気が理由だけでそんなに簡単に拒否されるはずはないとは思いましたが、この国ではありえるのか。。。と恐る恐る尋ねると、私の同僚は「そんなこと絶対にあるわけない!連れてらっしゃい。私が学校に行けるように手続きします。」というお言葉。

後日、子どもとお母さんがやってきました。結果としては、子どもがまだ治療が必要なことと、子どもがまだ幼く、他の子どもを傷つけたりする恐れがあるので、ある程度子ども自身が状況を理解できるようになったという医者の証明書が必要だそうで、すぐには学校には行けないということでした。ですが、そういった手続きを踏めば近所の子どもたちと同じ学校に行くことができるそうです。

 感染者の人たち自身が「別の学校を作ること」を解決策と言ったのは少々残念でしたが、今回のことで何か少しでも心に残ることがあればいいなぁと思いました。

         (パンフレットより。何をしたらエイズに感染するかをクイズにしたページ)

2008年8月30日土曜日

学校訪問

Hamjambo!

仕事が始まって3週間が経ちました。まず、活動は自分で考えないといけないのですが、何から初めてよいのかわからず、学校へ行ってみることにしました。

最初に教育課の人たちと訪れた学校は少し町の外れの小学校でした。生徒たちはみんな揃って挨拶するし、よく躾をされているように思いました。教育課の人たちは学校の先生たちの仕事ぶりや、環境を視察し、先生たちを集めて話しをしていました。

ここの小学校では生徒の机が十分ではありませんでした。クラスに机は数えるほどしかなく、小さな子たちは地べたに座って勉強していました。教科書は3人に1冊ということで、まあまあの基準だそうです。

もうひとつの学校は区役所のすぐ近くにある小学校です。ここでは1週間に1度、アシスタントとしてしばらく授業のお手伝いをさせてもらうことにしました。

この学校は机が揃っていましたが、黒板が書きにくい。。。状態が悪くてとても字が読めません。しかも教科書はだいたい7~8人に一冊ぐらいでした。これでは本当に学習が大変です。どうしたものかと思います。こんな状況でも色々なことを吸収している子たちは本当に立派だなぁと関心してしまいます。

今度は中学校にも行く予定です。中学校は最近の教育政策で急激に建設が進められています。テメケ区だけで今年の1月に20校以上が開校したそうです。一体どんな様子なのかとても興味があります。

それにしても何事もゆっくりと進むタンザニア。次の学校への訪問はいつできるのか。。。。

ではまた。

2008年8月23日土曜日

とりあえず引越し。仕事初め

Hamjambo

研修がやっと終わって、今週から仕事が始まりました。仮の住まいも見つかって、寮から移動しました。今のところは職場から離れていますが、とても安全で快適に暮らしています。
さて、仕事ですが、テメケ区の区役所の教育課に配属されました。そこで、成人教育のセクションにデスクをもらいました。仕事は朝の7時半に始まります。家が遠いので6時半前には家を出ないといけません。仕事も学校も早いので、6時過ぎに家を出ても、結構な人が通勤、通学しているのに出会います。

今週が仕事初めでしたが、テメケ地区の様子がまるでわかりません。かと言って、一人で出歩くこともできず、誰かがどこかへ出かける時に無理やり連れて行ってもらうという状態で過ごしました。小学校の視察に一緒に行き、カウンターパート(仕事上の私の責任者)がセミナーをするというので、鞄持ちの状態でそれにも付いて行きました。そして今日はなんと、『東アフリカの国際校長会議』みたいなのに連れて行ってもらいました。

セミナーもそうなのですが、校長会も日本の会議と全然違って、ものすごくおもしろかったです。まず、今日の校長会の予定がすごい。8時から受け付けが始まりますが、開会式は10時からなんです。会場に到着する順番がだいたい決まっていて、ホスト国(タンザニア)の校長、教育委員会が最初で、次にケニアとウガンダの校長たちが到着。最後に来賓が到着します。ここまで待つのが長い。。。

次に開会式は子どもたちの歌、先生たちの伝統太鼓とダンスがありました。このダンスと太鼓の最中に、みんなが踊りながらご祝儀を持っていくのには驚きました。次に来賓の挨拶ですが、これが長い長い。。。。最初からだいぶ予定が遅れていましたが、これで大幅にオーバー。

次のプログラムはなんと、朝ごはんタイム。チャイとチャパティ、ドーナツ、サモサなどが振舞われました。12時から始まる予定だった発表は押しに押して、1時過ぎに始まりました。それからみんなしゃべるしゃべる。またまた予定が押して、閉会式が終わったのは5時過ぎでした。予定は3時45分のはずたったのですけどね。そして、閉会式では、校長先生も教育長もみんな踊る踊る!

極めつけが、3時45分から始まるはずだったランチタイム。結局6時でした。ソフトドリンクはもちろん、ビールも出ていました。私たちは7時ごろに会場をでましたが、宴たけなわといったところで帰ったのでその後はどうなったか知りません。こんなに面白いものがあると最初から知っていたら、カメラを持っていっていたのに、と思って残念でした。

2008年8月7日木曜日

ダルエスでの生活ー断水、そしてアボカドジュース

Hamjambo!

語学訓練も無事終了しました。といっても勉強が終わったわけではなく、タンザニアで仕事をしていくには、今後ももちろん勉強が必要です。

それはさておき、宿舎からお湯シャワーの出る寮に戻った途端に、断水になってしまいました。よくあることであり、常に水を溜めていたので何とか13人分の最低限の生活用水は確保されましたが、1日お風呂なしで全員過ごしました。理由はよくわかりませんが、計画断水だということでした。
            (こちらで水道水をきれいにするために使う「ろ過器」です。)                       (ろ過器の中はこんな風です。)
            
電気と水のどちらがなくて困るかといえば、水なのではないでしょうか。。。とにかく、今回のことで、絶対に溜め水をしておこうと強く心に誓いました!

さて、生活にも慣れてきて、少しずつ行動範囲も広がってきました。恐る恐るごく近所しか出歩かなかった1ヶ月前にくらべ、寮の周りに何があるかも少しずつわかるようになってきました。外食するにしても寮の裏手のレストランしか行ったことがなかったのですが、100mぐらい離れたところにある地元の人が行く食堂に先日行ってみました。

すると、そこは食事もおいしいし、安い!なんといっても収穫はアボカドとパッションフルーツのジュースです。スワヒリ語でアボカドは「パラチチ」と言いますが、この「パラチチジュース」の虜になってしまいました。こちらでは、アボカドは野菜ではなく、果物の扱いです。日本にいるときからアボカドは大好きでしたが、このジュースは絶品。

こうして、おいしいもの、美味しいものが食べれる場所を見つけ、今日の健康管理の面談では体重もやや増え、危険を感じるこの頃です。

今週末に隊員はダルエスサラームからそれぞれの任地に赴任します。私は月曜から本格的に仕事開始です。

ではまた。。Tutaonana tena.

2008年7月26日土曜日

首都ドドマへの旅



Hamjambo!

みなさん、お久しぶりです。しばらく忙しくしていたり、ブログの投稿がうまく出来ずに、更新が滞っていました。すいません。

さて、今週は火曜日から首都のドドマに行ってきました。タンザニアで一番大きな町はダルエスサラームなのですが、実は首都ではありません。内陸部のドドマが首都なのです。国会が開かれる時期は大統領や国会議員たちはダルエスサラームからドドマに大移動らしく、この時期はドドマのホテルは一杯になるそうです。

今回は先輩の隊員の活動を見学に行くことが目的の旅でした。ダルエスサラームからバスで約7時間の旅です。一番安全できれいだと言われるスカンジナビアのバスで片道は日本円で約1500円ぐらい。でもこちらの人にとってはとても高い値段で、普通の人はもっと安いバスを使っています。

タンザニアでは、大きな町をつなぐ主要な道路でも、すべてが舗装されているわけではありません。しかし、ドドマは首都なので、ダルエスサラーム、ドドマ間の道路はすべてきれいに舗装されていて、大変快適な旅でした。ドドマは標高1000メートル以上のところにあり、途中も高原地帯のようなところを通り、山をいくつか見ました。ダルエスサラームを一歩でると、イメージしていたアフリカらしい景色が一杯に広がります。
ドドマではエイズ対策で区役所の教育委員会に派遣されている先輩隊員を訪問したのですが、そこで、今年、この地域の小学校の女生徒が10名以上妊娠して学校を辞めたという報告を聞き、大変ショックを受けました。けれど、性教育のプログラムを進めた成果と思われるのですが、昨年度よりもその数は減っているそうです。
さて、ドドマの町ですが、首都とは言っても、中心地を少し離れると、本当に何もない感じです。しかし、国会の周りや国会議員の通る道は花が植えてあったり、きれいにしてあります。標高が高いのと、南半球に位置するタンザニアは今は冬にあたるので、ドドマにいると朝夕は長袖の服が欠かせません。あとは砂埃。。。乾燥が激しく、砂埃が多くて、ちょっと大変です。ですが、それを除けば、とても住みやすい町だと思いました。

これからも色々なところを訪問してみたいものです。

2008年7月6日日曜日

語学訓練とサバサバ

Hamjambo!

語学訓練が始まりました。ドミトリーから、中心部から少し外れにある場所に移動しました。スワヒリ語とスワヒリ文化を教えるKIUと言う団体があり、そこで勉強しています。

金曜日の夜はタンザニアのダンスと太鼓の演奏を見に行きました。ものすごく動きが早くて激しくてびっくり!途中で観客も前に引っ張っていかれて一緒に踊りました。

昨日はダラダラツアー(ダラダラはこちらの乗り合いバス)ということで、先生と一緒にダラダラに乗って主要な場所への行き方を練習しました。しかし。。。午前中で予定は終わるはずだったのに、のんびり途中でお茶を飲んだり、結局、夜まで先生と一緒にダラダラツアー。夜はサバサバのイベント会場に行きました。

サバはスワヒリ語で数字の7のことです。サバサバは7月7日が商売の日ということで、国民の祝日となっています。宿舎の近くにサバサバと呼ばれる万博みたいに色々なブースが開かれるイベント会場があって、そこへ先生達と行きました。最新の商品が見れたり、安いものがそこで買えるので、入場料が日本円で200円ぐらいなのですが、大勢の人が来ていました。お金を使う人が多いのか、移動式のATMを見かけました。もちろん銃を持ったアスカリ(兵士)が前に立っていましたが。

再来週には初めて自分の職場を訪問します。先日スワヒリ語で電話をかけたら、すぐに英語を話されてしまいました。これからもっと頑張ります。

ではしばらく日記もお預けかもしれません。

Tutaonana tena

2008年6月29日日曜日

日本の中古車と世界の「矢沢」

Hamjambo!

ダルエスサラーム生活5日目に突入です。

昨日は土曜日だったので、初めての休日でした。こちらに来てからはみんなで買い出しして、ドミトリー(隊員専用の寮)でご飯を作っている状態です。

昨日は自分達だけで初めて買物に行きました。日本でもある色々な野菜を見ました。トマト、キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、なす、タマネギ、などなど。私の大好きなアボカドは日本でみるアボカドの倍ぐらいはある大きさです。オクラもあります。

夕方には、大使館の人達や隊員など、ダルエスサラームにいる日本人たちのバスケットボール部があるそうで、海岸近くのアウトドアのコートに行きました。タンザニア人の高校生ぐらいの子達、中国人の人達もプレーをしていました。

帰りは車でドミトリーまで送ってもらい、いつものごとく、沢山の日本の中古車を見かけました。

ダルエスサラームに来てから、日本の旅館や学校で使っていたと思われる中古車をたくさん見ました。漢字がそのまま、ボディに書いてあるのです。「○○旅館 釣り、温泉」とか「○○学園」。。。とか。漢字が載ってると、価値が高いそうです。とても不思議です。

過去にいた協力隊員が、こちらのバス(通称ダラダラ)に乗ったら、自分が幼稚園の時に乗っていたバスだったということがあったそうです。

金曜日にマーケットに連れて行ってもらったときは、「矢沢永吉」が大きくペイントしてある車を見かけ、ビックリ!こんなところに。。しかもすごく派手で、ものすごく目だっていました。世界の矢沢は本当でした。

この「矢沢永吉」車はこちらの日本人の間でも有名みたいで、大使館の人に、タンザニアに来て3日目で見たのはすごいといわれました。

月曜日は、調整員の人と一緒に初めてダラダラ(バス)に乗ります。ドキドキです。

そのあたりはまた報告します。

Tutaonana tena

2008年6月28日土曜日

タンザニアに無事着きました。

Hamjambo!

25日の現地時間の午後3時過ぎに無事、ダルエスサラームに到着しました。

今のところ、、、ダルエスサラームは四日市より都会です。車がたくさん走っていて道もきれい。海はすぐそばにあってとてもきれいな眺めがすぐ見えます。町では時々マサイの人たちがマサイ族の格好でそのまま歩いていたり、ちょっと面白いです。

スワヒリ語にあふれている世界。。当たり前ですが、みんなスワヒリ語をしゃべる!

今のところ事務所でオリエンテーションの日々です。現地スタッフからの話の中で、隣人や職場の人と良い関係を築くには挨拶をすることが大切で、得に年長者を敬う態度が大切だと説明されました。
コミュニケーションの基本は世界どこでも同じなのだと思いました。

ところで、ネットの速度がとても遅いのと、かってがわからないので写真を載せたいところですが、今回は文章のみでお許しを。

来週からスワヒリ語の訓練が始まります

Tutaonana tena

2008年6月20日金曜日

表敬訪問

Hamjambo!

昨日は市の表敬訪問、今日は県の表敬訪問に行ってきました。

二本松で一緒に訓練を受けた人たちに加え、駒ヶ根で訓練をしていた同じ三重県出身者にも会うことができました。

市のほうは市長さんとお話をさせていただきました。地図帳を用意してくださって、場所を確認したり、とても打ち解けた感じでお話できました。私たちの安全や健康のことを非常に気遣ってくださってありがたかったです。

翌日、今日は県の訪問です。みえ国際協力大使・・とやらにも就任させてもらいました。現地で頑張ることと地元への還元ということも意識して活動して行きたいと思います。

6月24日 23時15分、関西空港からドバイ経由で出発しますが、準備まだまだです。

写真は県庁の前でとりました。20年1次隊で三重県から派遣されるメンバーです。

2008年6月18日水曜日

帰省してます

Hamjambo !

6月12日に訓練が終了し、約2ヶ月ぶりに三重に戻ってきました。

何も変わらない実家に戻り、久しぶりに気が抜けたようで、訓練期間には考えれないぐらい睡眠時間が長くなっています。自分がいない間に近所のニュースは何かと家族に尋ねたところ、ごくごく近所の和菓子屋さんの商品がネット販売で全国1位になったことだそうです。ということで早速そのお菓子を食べさせてもらいました。


自分としてはおいしく頂き、気に入りました。


うちで飼っている、フクちゃんは一回り大きくなっていて驚きました。行く前も十分大きかったのに、2ヶ月は長いのだと改めて感じました。

巨大になっても愛らしさはかわりません。

この前出かけた時、地元のごくごく普通の町並みを写真に収めたことはなかったなぁと突然思い立って、見慣れたごちゃごちゃした駅前通りの写真を撮りました。

これを見せたらタンザニアの人たちはなんと思うのかしら、とふと思いました。

それにしても準備はなかなか進みません。明日は市の表敬訪問に出かけます。

Tutaonana tena

2008年6月11日水曜日

最終日前日&最終日

Hamjambo!

昨日は最終日の前日。語学発表会がありました。

これまで勉強してきたスワヒリ語をつかって10分間のスピーチをクラスの皆の前で発表しました。それぞれ自分の身近な話題、例えば自分の故郷、仕事、仲間や趣味などについて話しをしました。私は学校の仕事の話を少しして、そのあと習っていた韓国の楽器、チャンゴやサムルノリについて話をしました。

それぞれのスピーチのあとには質疑応答もしました。人が話している内容はわからないところもたくさんありましたが、それなりに理解し、質問もでき、この2ヶ月の訓練の成果を感じました。

終了してから先生にみんなで感謝の気持ちを込めて、プレゼントと色紙を贈りました。前日にはクラスのみんなで名詞の表を作って貼りました。次の隊員のために、いつまでも私たちの足跡が残るように作りました。
授業の最後に先生から、みんなよく頑張ってくれてうれしい、そしてとにかくタンザニアでも頑張りなさい、という言葉を頂きました。その瞬間、先生が根気強く、丁寧にそしてユーモアたっぷりに楽しく指導してくださった数々の思い出が浮かび、先生に心から感謝しました。そして、先生は「山と山は動かないけど、人は動いて会える!」という意味のことわざを教えてくれました。


そして本日の修了式。候補生から晴れて隊員となりました。そして壮行会。お世話になったスタッフや先生方、生活班や語学クラスの仲間と最後の時間を楽しみました。乾杯、歓談、そしてみんなでの合唱、スタッフによる思い出のスライドショー。短い時間ですが盛りだくさんでした。これからみんなバラバラになりますが、それぞれが任地で頑張り、無事に任期を終え元気に帰って来ることを願いました。
これから地元であわただしく準備する日々です。どうなることやら。
写真は大好きな教室。そして教室に飾られたこれまでの生徒たちからの色紙の数々と私たちが贈った色紙。

Tutaonana tena!

2008年6月6日金曜日

行事続きの報告

Hamjambo!

 今日はついに語学の最終テストでした。行事が立て込んでいた中、テストの臨むことになり、とても不安でしたが、何とか済んでほっとしています。出来についてはまあまあということにしておきましょう。


 先日はアウトドアレッスンで三春にあるハーブガーデンに行ってきました。色々な表現をつかってスワヒリ語で会話をしながら過ごし、のんびりしました。


 そして同じ週にタンザニアからのゲストを招いての語学交流会もありました。タンザニアやゲストの方についての質問をして答えていただいたり、日本の手遊び、じゃんけん、そして空手隊員による空手のデモンストレーションと盛りだくさんのプログラムで楽しい時間を過ごしました。


 そしてそして、今週の水曜は東京へ行って皇太子殿下との接見もありました。ものすごい時間をかけて東京まで行きましたが、160名もいるのでお話の時間はごくわずかでした。なんとも緊張しました。


 来週は、最後の語学発表会があり、10分ほどスワヒリ語でプレゼンテーションをします。12日には訓練が終了し、退所になります。24日には関西空港から出発です。


 訓練も終わりに近づきましたが、これからが始まりです。

2008年5月30日金曜日

福留さんが来ました。

Hamjambo!

更新が滞っていました。すいません。Samahani.

この数日色々な行事が詰まっていてとても忙しい毎日でした。そして明日も忙しい。。。

今日はアナウンサーの福留さんが、この訓練所にやってきて、私たちの授業を5分ぐらいのぞいていきました。なんでも、福島県出身の野口英世にちなんで、野口英世賞というものがあって、その授賞式の司会をした帰りに寄ったそうです。結構緊張して待っていて、先生も写真を撮るのを楽しみにしていたのですが、忙しそうで写真を頼み損ねてなにもなし。。。。思ったより小柄な方でしたが、とてもよい声をされていました。

その他、最近は行事がたくさん詰まっていました。2日前はアウトドアレッスンで、スワヒリ語の先生とみんなで郡山のハーブガーデンに行ってきました。そして明日はタンザニア人のゲストを迎えての語学交流会です。

その様子はまたお伝えします!

研修も残りわずか、頑張ります。

Tutaonana tena.

2008年5月18日日曜日

調理実習!タンザニア料理編

Hamjambo!

ここでの生活も中間テスト以降、後半に入っています。少しは暖かくなってきたと思う時もあるのですが、この研修所ではまだ暖房が必要な日が多いです。

先週になりますが、小雨降る寒い日ですが、タンザニア料理をつくりながらの語学レッスンがありました。作ったのは、バナナとお肉ののシチューのようなもの、肉とトマトとオクラのカレー味のシチューのようなもの、オクラのスープ、サラダ、チャパティ、スパイス入りのミルクティでした。


タンザニア料理はインド料理の影響もあって、チャパティやスパイス入りのミルクティは一般的によく食事に出されるそうです。チャパティについては、小麦粉から作りました。とても上手に出来たと思います。

午前中一杯かかって、この6品を作りました。スワヒリ語の授業ですから、もちろん言葉を覚えることも大切です。この時間だけでたくさんの新しい言葉が出てきました。

たとえば、「煮る、ゆでる、火を通す」は「chemsha」といいます。スワヒリ語の響きは面白いものも結構ありますが、今回一番おもしろかったのは、「ぬるま湯」の言い方です。直訳や「ぬるい水」という表現だとおもうのですが、「maji ya uvuguvugu」。カタカナ表記だと、「マジ ヤ ウブグブグ」のような感じです。早口言葉みたいで非常に言いにくいです。。。

来週はスワヒリ語で10分スピーチをする準備を始めます。私たちの先生の日本語の口癖のひとつが「大変だぁ!」です。まさにスワヒリ語の勉強は「大変だぁ!」の連続です。

2008年5月10日土曜日

中間テスト

Hamjambo!

昨日は中間テストでした。テストは朝から、聞き取り、グラマーと作文があり、午後からは会話でした。

最初、先生が「リラックスするのにお茶を途中で飲んでもいいわよ」と言うのでちょっと驚いてしまいました。テストが始まると、難しくてお茶を飲むどころではありません。。。。久しぶりに学生の時の緊張感がよみがえってきます。なんとか全部埋めたけど、あっているのか間違っているのか定かではありません。。。

午後からは会話のテスト。いつになく先生の話すスピードが速かったです。とても真剣で緊張感のある先生の態度にも圧倒され、終わった後は心臓がドキドキしていました。はぁ~自己嫌悪とはこのこと。

終わってからは「精神衛生」についての講義がありました。こんな緊張感が続くと、精神の衛生について考えることも大事だと実感します。

夜は「地球のステージ」のコンサートが体育館でありました。自由参加でしたが、行ってよかった。少し元気になりました。

そして今日は、調理実習をしながらの授業です。今日のことはまた報告します!
今から、一週間ぶりにみんなで山をおります。

Kuwaheri. 

2008年5月5日月曜日

訓練生活から下界へ

Hamjambo!

訓練生活も1ヶ月が過ぎようとしています。

世間はゴールデンウィークですが、訓練所の生活はいつもと変わらず、月から土の5時まで課業です。今日も子どもの日でしたが、朝から語学の授業でした。

訓練所は山の上にあり、一番近いコンビニは山から歩いて20~30分下ったところにあります。5時に授業が終わって夜の10時まで外出可能です。ここのところ、週末は歩いて行ける範囲の外出で終わっていましたが、この週末は少し頑張って郡山、会津若松に行ってきました。
一ヶ月ぶりに電車にも乗りとても新鮮で、郡山も会津若松もゴールデンウィークでたくさんの人で溢れていました。 たくさんお店があってものが溢れていて見ているだけで楽しい時間でした。
帰りは近くまで行く最終のバスが5時20分ぐらいなので、それにあわせて帰ってきました。帰ってから宿題です。。。スワヒリ語で日本の祝日についての説明を書くのに四苦八苦。なんとか書き上げで就寝。。。。ぐっすりです。
ちなみに、スワヒリ語で「私はぐっすり眠りました。」というのは Nililala fofofo.です。。。ちょっと笑えます。

写真は、電車からみた風景、磐梯山、鶴ヶ城です。
今週末は中間試験です。頑張らないと。ではおやすみなさい。 
Lala salama.

2008年4月29日火曜日

日曜日の日記

Hamjambo!

日曜日に起きてからしたことをスワヒリ語で書きました。簡単なことばかりですが、記録に残します。日本語訳つけます。

Jumapili , tarehe ishirini na sita, mwezi wa nne, mwaka elfu mbili na nane

Niliamka saa kumi na mbili na nusu. Nilinawa uso saa moja. Halafu nilikwenda kunywa chai saa moja na dakika ishirini. Nilichukua mashati yangu chumba cha udobi baada ya kula chakula. Kisha nilipiga pasi mashati yangu. Baadaye mimi na rafiki yangu tulitembea kwenda mgahawani. Sisi tuliona ng’ombe njiani. Halafu tulifika mgahawani na nilikula tambi na keki ya jibini tena. Kisha tulikuenda Dake na tulitazama maua ya cheri. Tuliona raha sana. Halafu mimi pamoja na rafiki zangu wawili tuliende hotelini kuoga, na watu wengine walirudi NTC. Tulirudi NTC saa kumi na mbili kwa teksi. Halafu nilikula chakula cha usiku. Baadaye nilikuenda maktabani kujifunza Kiswahili. Kisha mimi na watu wenye zamu ya wiki hii tulicheki hesabu ya watu wa NTC saa nne na dakika arubaini. Nilitangaza “Laleni salama.” hewani saa tano. Nilirudi chumbani kwangu na nililala saa tano na dakika kumi.

日曜日、26日4月、2008年
私は6時半におきました。7時に顔を洗って、それから7時20分に朝食を食べに行きました。ご飯を食べた後、洗濯室で自分のシャツを取ってきました。それから自分のシャツにアイロンをかけました。その後、私と友だちは喫茶店に歩いていきました。私たちは途中で牛を見ました。それから喫茶店に到着し、パスタとチーズケーキをまた食べました。それから岳温泉に行き、私たちは桜の花を見ました。とても気分がよかったです。それから私と2人の友人は温泉に入るためにホテルに行きました。他の人たちはNTC(二本松訓練所)に戻りました。私たちはNTCに6時にタクシーで戻りました。それから夕食を食べました。その後、私はスワヒリ語を勉強するために、図書室に行きました。それから私と今週の当番の人たちは10時40分にNTCに居る人たちの人数を確認しました。私は11時に「おやすみなさい」と放送しました。自分の部屋に戻って、11時10分に寝ました。

2008年4月27日日曜日

今週の二本松

Hamjambo!


訓練所周辺の桜がやっと満開になりました。20分ほど山を下ったところにある岳温泉の桜も満開です。



岳温泉周辺はとてものどかなところです。広々とした風景に牛が放牧されているのを横目に見ながら、今日はチーズケーキのおいしいお店まで、約40分歩いて行ってきました。途中で鯉のぼりを上げているお家もとおり過ぎました。自分の感覚では、4月に咲く桜と、5月の鯉のぼりを一緒に見るというのも、自分にとっては新鮮でした。





訓練所では毎日、語学訓練で外出も限られているので今日はとてもよい息抜きになりました。岳温泉も体験し、いい気分です。でも宿題が・・・
宿題で、今日の出来事を今からスワヒリ語で書きます。

2008年4月20日日曜日

スワヒリタイム


Hamjambo!

 訓練も約10日が過ぎました。昨日は同じ班の人たちとカードゲームのUNOをしました。スワヒリ語訓練生として、私は「UNO」のかわりにスワヒリ語で「Moja(モジャ)!」と叫んでいました。Mojaはスワヒリ語で数字の1でしたよね。

 さて、今日はスワヒリタイムについて。

なぜかはちょっと不明ですが、スワヒリ語の世界では「スワヒリタイム」というものがあります。時間はその数え方で伝え合うということで、スワヒリ語で時間の尋ね方、答え方をスワヒリタイムにのっとって練習しました。

なぜか。。。スワヒリタイムでは、朝の7時が1時。。。

時計の文字盤で、対角線上にくる数字がスワヒリタイムです。つまり。。。

西洋式          スワヒリタイム
7時     ⇒        1時

12時    ⇒        6時

3時    ⇒         9時

 写真は『旅の指差し会話帳 ケニア スワヒリ語』(宮城裕見子著 情報センター出版)に載っていたスワヒリタイムと西洋式タイムの表です。ピンクの部分が西洋式、緑がスワヒリタイムです。


ただでさえ、言葉を覚えるのに大変なのに、スワヒリタイムで少々混乱気味です。。。。

2008年4月15日火曜日

スワヒリ語


Hamjambo!
スワヒリ語の訓練が始まりました。新しい言語を学ぶのはとても楽しいです。(今のところ・・・)変化の多い言語ですので、これから益々複雑になっていくのかと思うとと少々不安です。



スワヒリ語はもともとの語彙に加えて、外国語から語彙を多く取り入れている言語です。およそ30%がアラビア語の語彙から取り入れたものと聞いたときは大変驚きました。発音は日本人なら大体大丈夫。でも「n」や「m」から始まる語があったり、この区別をしたりちょっと新鮮な響きです。


ちなみに、数字の0はsifuri


1~10はこんな風。 1=moja, 2=mbili, 3=tatu, 4=nne, 5=tano, 6=sita, 7=saba, 8=nane, 9=tisa, 10=kumi


ちょっとかわいいです。OKはsawa.  よく出来たりすると、先生は「sawa sawa.」と静かにおっしゃいます。それにもだいぶ慣れてきました。


写真はお借りして使わせてもらっているスワヒリ語の辞書類です。
Tutanonana tena (さようなら、また)


2008年4月11日金曜日

福島県にGO


4月9日に福島入りをしました。初めての東北新幹線への乗車。
おもわず写真を撮ってしまいました。

 福島での研修生活も少しずつ慣れて自分のペースもつかめてきた気がします。新しい言語を習得するのは新鮮で楽しさもあります。
しかし、それしか通じないところで仕事をしなければならないとなると、本当に真剣に勉強しなければならないというプレッシャーも感じます。

 それはさておき、訓練所のある地域は山の上のため、今もとても寒く、まだ暖房が必要です。今週末は町に降りてお花見を楽しむ予定です。日本の中もまだ知らない所があるなぁと感じます。

Kuwa heri (さようなら)

2008年4月8日火曜日

仮々の出発


三重を出発。
福島への経由地である東京で研修をしています。タンザニアに行くまで、あと2ヶ月研修の日々です。

昨日と今日の研修でブログは必須!と認識しました。現在、練習中です。