2009年1月29日木曜日

ライフスキル教育

Hamjambo?

 夫婦喧嘩、親子喧嘩はどこの国でもあるようで、なんだか大家さん一家はただ今大変なことになっています。奥さんとお姑さんが激しく言い合っています。前に住んでいた家のお隣さんの喧嘩も半端なく激しかったですけど、ここもかぁって思います。タンザニア人は普段は穏やかなのに、喧嘩になると少々激しいかもしれないと思いました。

 さて、今日は結構頑張って学校2校に行きました。朝一番に肢体不自由の子どもたちが学ぶ全寮制の学校へ行ってきました。先週、この学校にダルエスサラームに住む邦人の方からの依頼で、ハーモニカとカスタネットを寄付したところです。寄付したのはいいけど、きちんと教えることが出来る人がいないので青少年活動の隊員としては何もしないというわけにはいきません。音楽の専門家でもないので一人自宅でハーモニカの練習をしつつ、手探りでぼちぼち始めるしかありません。これは正直言って冷や汗ものです。
(楽器を送った学校です。車椅子に乗っている生徒が遠くに見えます。壁の絵は韓国の大学生がボランティアで描いたそうです。)
                (学校には義足などを修理する工房もあります。)

 2校目はいつも行っている小学校。ここで外部から講師を招いて週に2日、「ライフスキル学習」を行っています。日本語で説明するならば、性教育、HIV・AIDS教育、薬物乱用防止教育、などを含む「生き方教育」です。私は講師の人のアシスタントを申し出て、教室でちょっとしたお手伝いをしつつ授業の見学をさせてもらいました。

 今日は導入の授業で、キーワードは「結婚まで待つ」「誠実であれ」「若者」の三つで、キーワードに沿って授業は進みます。先週は小学校4年生、今回は5年生が対象ですが年齢もまちまちで10歳ぐらいから16歳の子もいました。

先生:「結婚まで待つって何を待つの~??怖がらないで発言してね!」

たくさんの生徒が手を挙げて、指名して欲しくて椅子からお尻が浮き上がっています。

生徒:「結婚するのを待つ!」

生徒の答えはちょっとズレてます。どこの国でもよくあることと思いつつ、頑張って最初に発言した生徒は立派だと思いました。すかさず先生のフォローです。

先生:「結婚は法律で何歳になったらできるの?」
生徒たち「18歳!!」

さてその次。。。
生徒2:「バンギ(麻薬の一種でたばこの用なもの)を吸うこと!」
先生:「なるほど。他の人怖がらないで発言してね。何があるの?」
生徒3:「どろぼう。」
先生:「なるほど。でもほら、結婚までに何を待つの?」

生徒4:「マペンジ(愛)をすること!(つまりセックスをすること)」

ここで、生徒はみんな恥ずかしそうに笑います。すると先生が「笑わないで。笑うことではないでしょ。」と一言。頑張って発言した生徒にみんなで拍手を送ります。(タンザニアの学校にはこの拍手の仕方もいろんなヴァージョンがあって面白いです。日本のかしわでみたいです。)

先生は続けてセックスすることでHIV・AIDSに感染する可能性、女の子の妊娠の可能性があることなどを生徒から引き出します。女の子が妊娠すると勉強が続けられなくなること、物やお金を渡してセックスを強要する大人がいることなどを説明しました。

最近の日本の小学校でどの程度の性教育が行われているのか正直あまり知らないのですが、タンザニアの小学生は結構みんなはっきり言うし、色々なことを知っているようでした。いろいろな情報も溢れているようですし、部族によっては伝統的にある年齢になると結婚の準備のための教育をする人たちも居るようです。思春期になって現れる体の変化についてもよく勉強していると感じました。

スワヒリ語が少し分かるようになってきたこと、行動範囲も少し広がったことで自分のところにも前より情報が入ってきます。これまで小学校の先生が生徒を妊娠させたという話、中学校の生徒で子どもがいながら学校に通っているとか、小学生同士の交際で女の子が妊娠した話などを聞きました。

それとともに、HIV陽性者にも何人か会う機会がありました。発病していない人はいたって元気に見えますが、やはりもちろん亡くなる方もいらっしゃいます。病院にはHIV/AIDS患者専門の棟があると聞きました。

以前、HIV陽性であるために学校に行くのを一度あきらめていた女の子の話を書きました。おととい、一緒にその家を訪問した人からその女の子が亡くなったという知らせを受けました。直接の原因はよくわかりませんでしたが、学校へ行くことを認められ、本やノートの準備をしていたそうです。とても残念な知らせでした。

この国ではHIV/AIDSの問題とも絡んで、性教育は恥ずかしいから避けたいというようなことを言っていられない差し迫った状況なのだということを感じました。

Tutaonana

2009年1月21日水曜日

タンザニアのスポーツ事情

Hamjambo!

 いきなりなんの写真かと思ったかもしれません。オバマ好きのタンザニアでは、昨日はオバマ氏の就任の様子がテレビでも放送されました。タクシーのラジオも誰が歌っているのか知りませんが、オバマ氏の歌が流れていました。先日、私も記念にオバマ氏の顔がプリントされたカンガ(女性が体に巻いたりする布)を買いました。ここタンザニアで勝手に顔写真が使われ、時には自分の顔入りの布が洋服に仕立て上げられたりしていると知ったらオバマ氏は何と言うのでしょうか。。。

(こんなカンガ(布)を買っちゃいました。写真の使用について本人に許可を取ってるとは思えませんね)

 さて、新年に今年は何を頑張ろうかと考える人も多いと思います。本当に頑張れるかどうかは別として、私も新年に「体力をつける」という目標を立てました。ということで、今回のテーマは「スポーツ事情」。

恥ずかしながら、私はこのところ朝6時ごろに家を出て、近くにある国立競技場前の大通りをほんの少しの時間ですが走っています。そうすると何人かのランナーとすれ違います。意外とジョギングブームなのかと思うぐらいです。見かけるのは男性が多いですが、女性も歩いたりジョギングしている姿にちょくちょく出会います。

もうずいぶん前のことになりますが、イカンガーというマラソン選手がタンザニアにいたのを覚えている方もいると思います。日本の瀬古選手と競い合ってかなりの記録を残していたと思いますが、彼はアマチュアスポーツの発展にも力を入れているということをアマチュアスポーツ協会の方からお聞きしたこともあります。このランナーの数は彼のような人がいたことも影響しているのかなと思ったりします。3月にはキリマンジャロマラソン、10月にはダルエスサラームでもマラソン大会があるそうです。

(国立競技場。職場のすぐ目の前にあります。中国の援助で建てられたそうです。全体的にピンク色の印象の強い建物で新しくて立派な競技場です。)

 しかしながらこの国で一番の人気スポーツはなんと言ってもサッカーだと思います。先日行った子どもへのアンケートでもスポーツのことを少し尋ねましたが、男子で一番やりたいスポーツの1番がサッカーでした。プロのサッカーチームもあり、職場の前にある国立競技場は、試合のある日はチケットを求めてたくさんの人が集まります。

私はサッカーのことはあまり詳しくありませんが、ダルエスサラームでの2大人気チームはヤングアフリカン(通称ヤンガ)とシンバ(スワヒリ語でライオンの意味)で、みんなどっちのファンか決めているようです。ケニアなどの周辺国から選手を呼んだりコーチも外国から来ていたりします。テレビのニュースではタンザニア国内だけでなく、ヨーロッパなどのサッカー選手のことがニュースとして取り上げられることが当たり前でサッカーへの関心の高さが伺えます。

 女性もサッカーをやる人を見かけますが、女性の先生などに今までどんなスポーツを経験したか尋ねてみると、ネットボール、ハンドボール、バレーボール、少数だとバスケットボールなどの答えが返ってきます。この前の調査では、女の子の間でやってみたいスポーツNo.1はネットボールでした。これは日本でほとんど見かけないスポーツですが、ここタンザニアでは経験者も多く、私の配属先の区役所にチームもあります。私も2度ほど練習に参加しました。

要はバスケットボールの親戚みたいなスポーツですがドリブルなし、パスのみでボールを運びます。この国ではどこのグランドも状態がよくありませんから、ボールを地面に突くのは難しいように思います。ですからドリブルなしのスポーツが普及しているのかもしれません。

バスケットボールと違うところは、ゴールのリングの後ろにボードがないところです。シュートはボード利用ができませんからリングに直接入れるしかありません。結構難しいと思いますが、あまりディフェンスをしてはいけないらしく、ゆっくり狙ってシュートを打つことが可能です。ディフェンスは全体的にバスケットボールのように激しいものは禁止ですが、私は知らずにシュートエリア内で相手のボールをつかんで取ろうとして反則と言われてしまいました。

 小学校へ行くと、休み時間に時々ドッチボールをしている子たちを見かけます。でもボールはないので、みんな靴下をまるめてそれをボール代わりにして遊んでいます。ケガもしないしなかなかのアイディアで初めて見たとき感心してしまいました。

 バスケットボールもダルエスサラームではまあまあ普及していますが、学校などに体育館はなく、外のコートでやることが一般的です。ですが場所も限られますから一部の人しかできないスポーツと言えます。それでもダルエスサラームだといくつかアウトドアのコートがありますので、私も隊員のバスケットボール部の練習に時々参加しています。語学研修のときに知り合いになったタンザニア人はパラリンピックに出場した唯一のタンザニア人でしたが、以前は車椅子バスケットボールをしていたそうです。ですが特注の車椅子にお金がかかるので陸上に切り替えたと言っていました。

 学校では体育の授業も一応ありますが、以前スポーツに力を入れすぎて学校を落第する生徒が多くいたので、国はあまり子どもたちがスポーツに熱を入れすぎるのを好まないのだと聞いたことがあります。この前のオリンピックで成績が振るわなかったタンザニア。そのことが新聞にもたくさん載っていましたが、スポーツに対する風向きも今後少しはかわるのかもしれません。

Tutaonana

2009年1月12日月曜日

モロゴロでの年越し

Hamjambo!

 子どもたちの冬休みももうすぐ終わりです。明日から新年度、新学期が始まります。私も明日からはいくつかの学校訪問を再開したいと考えています。

 さて、旅行の報告を続けたいと思います。クリスマス後から年末をイリンガ周辺で過ごし、年末年始は別の同期隊員の住むモロゴロで過ごしました。モロゴロで活動する同期の仲間は町からダラダラで1時間先の「村」に一人で住んでいます。町から村へ行くダラダラは、お客さんが一杯になるまで出発しません。ですから、片道1時間ということになっていますが、タイミングが悪いと実際は待ち時間を合わせて2時間かかってしまうこともあるそうです。

モロゴロ自体はダルエスサラームから3時間で行けるところでそれほど不便はありませんが、行った村には電気は全く通っておらず、隊員のお家だけはソーラーパネルを着け、自家発電で生活に必要な最低限の電気を確保していました。
そんな中での年越し。ラジオが告げる時間もここタンザニアでは怪しく当てにならず、なんとなく2008年が終わりなんとなく2009年が明けてしまった感じです。年越しそばの変わりに、帰国した隊員が残して行ったうどんを作って同期3人で汗を流しながら食べました。それでもとてもおいしかったです。

  (新年ということと、あとは女の子の成人の儀式のようなものがあり、太鼓と踊りがあったようです。)

 元旦は隣村で踊りと太鼓の演奏があるというので、1時間歩いて隣村まで行ってきました。地酒を振舞っていただいたり、日本のお正月の特別な雰囲気は味わえないものの、いつもと違う特別な日だということを少しだけ感じることが出来ました。

                  (ウルグル山、モーニングサイトからの眺め)

 翌日はモロゴロの町に移動し、町に住む先輩隊員の人と合流してウルグル山に登ってきました。モロゴロは山に囲まれたいわゆる盆地です。町を囲む山々の中のひとつ、ウルグル山は頂上まで2000m以上ありますが、私たちは途中にある昔ドイツ人が別荘として建てたというモーニングサイトという宿があるところまで片道約2時間の山登りをしました。現在、モーニングサイトは宿としてもあまり使われていないようで、ちょっとお化け屋敷に近い状態でしたが、その場所からの眺めはよく、モロゴロの町を見下ろすことができました。私たちが2時間かけてたどり着いたその周辺では畑を作って作物を育てている人たちも結構いてびっくりしました。

             (モーニングサイトからさらに山の上をみると、畑があります。)
 これまでダルエスサラームをあまり離れたことがありませんでしたが、ほんの一週間の旅でもタンザニアの別の面を色々見ることができました。あとは他の任地に住む隊員の生活を知ることができ、よい刺激になりました。

Tutaonana

2009年1月4日日曜日

野生の王国ーイリンガ州ルアハ国立公園

Hamjambo!

 あけましておめでとうございます。ついに2009年になってしまいました。派遣期間もあと1年3ヶ月です。短いかなぁと思う半面、あともう1回タンザニアでお正月を迎えるのだと思うとまだまだあるなぁと思います。今年はスワヒリ語にもっと勢を出し、体力増進に努め、キリマンジャロ登山もしてみたいと思います。

 12月27日から5ヶ月ぶりにダルエスサラームを離れ、同期の隊員の住むイリンガ州、モロゴロ州を旅してきました。

 イリンガはタンザニア中部の高地にある町です。ダルエスサラームは夏真っ盛り、今の時期は32、33度ぐらいで湿度も高いのですが、ここイリンガはとても涼しく、夜は寒いぐらいでした。なかにはダウンのコートを着ている人まで見ましたがちょっとそれは大袈裟かなぁと思います。でもタンザニア人にとってイリンガは「すごく寒い」場所のようです。タンザニアと言っても場所によってこんなにも違うのかと驚きました。さて、4泊5日をイリンガで過ごしましたが、そのうち1泊2日はそこから車で3時間ほど行ったルアハ国立公園で過ごしました。

           (ゾウの家族?ゾウは今回本当にたくさん出会うことができました)

 子どもの頃、「野生の王国」という番組があり、我が家では家族でよく見たものですが、ルアハ国立公園ではまさにその頃テレビで見たとおりの野生の王国が広がっており、やっとアフリカに来た感じがして本当に感動しました。この時期は雨季で、動物を見つける手がかりの水場が変わるため、プロのガイドさんも動物を見つけるのが難しいのだそうです。あまり期待せずに行ったのですが、同期隊員の紹介してくれたガイドさんはこの道25年のベテランで、たくさん動物を見つけてくれました。

おかげで、遠くからでしたがライオンの大家族を見ることができました。おまけにライオン家族がカバを集団で襲うという貴重な場面も目にすることができました。カバは非常に大きいし危険なのでよっぽどお腹がすいていないかぎりライオンが襲うことはないそうで、ベテランのガイドさんも初めて見たと驚いていました。

(このライオンは単独で居る所に出会いました。お腹が一杯でのんびり休んでいるのだそうです。)

 夜は国立公園内のレストランでガイドさんも一緒に食事をし、日本のことやタンザニアのこと、家族、仕事のことなどたくさんの話をしました。彼は私と同世代の人で、小学校を出てすぐ仕事を始めたそうですが、とても利発な子どもだったようで、上の人から引き抜かれ様々なチャンスをつかんで、現在のプロのガイドという仕事につくようになったそうです。今も動物について勉強熱心ですし、自分で動物や植物について執筆しており、いつかそれを本にするのが夢だと語っていました。自分の子どもの頃を思うと本当に何も考えずに生活していたことを感じました。彼のように心から尊敬できるタンザニア人にここでも会うことができ、本当に旅をしてよかったと思いました。

    (国立公園を出て、丘の上にあるレストランで昼食を食べました。そこからの眺めです。)

Tutaonana