2009年12月31日木曜日

2009年、忘年会


Hamjambo?

年も暮れ。日本はほとんどの職場が仕事納めとなっているかと思います。こちらは1月1日だけが祝日であとはカレンダー通りですから、今日も明日も仕事です。もちろん、クリスマスの祝日もありますし、学校が休みで教育課は特に仕事が少し減るのでこの時期に休暇をとる人も多いですけれど。

 今年の年末は旅行には出かけなかったので、今日は職場の「忘年会」に誘われました。この会は「2009年にさよならをする会」という名前でしたが、2009年も終わりということで、今年一緒に頑張った職場のみんなで今年あった難しい仕事のことなどは忘れて楽しい時間を過ごしましょう、また新しい年も頑張りましょう、という会で、趣旨からすると、どう考えても「忘年会」だなと思いました。
        (会場となったレストランにはなんとなくタイ風の置物と、クリスマスからそのままと思われるツリーとデコレーションが。。。)

 この忘年会には教育課の各セクションの職員、各小学校の校長先生、また各地域の教育コーディネーターが参加しました。休暇で欠席だった人も結構いたようですが、総勢100人以上の大々的な会となりました。この会の運営はいわゆる「親睦会委員」みたいな人が選出されて委員会が作られ、参加費を集めや会場の予約、会場までのバスの手配や会の司会などといった仕事を一手に引き受け、今日の日を迎えました。自分たちで企画したので親睦会委員のメンバーももちろん職員であったり校長先生だったり、教育コーディネーターだったりするわけです。会費については、お金をある程度持っているタンザニア人の集まりということで、こちらの物価から考えると感覚的には2万円ぐらい払った気分です。(実際は日本円で2000円弱ですけど)

 さて、日本的な部分もあるこの会ですが、タンザニアならではと言うところも当然たくさんあって、興味深いと同時に楽しかったです。まずは職場から離れていつもと違う雰囲気を楽しみましょう、ということで、会場に到着してから飲み物を飲みながらみんなが集まるのを待つこと1時間近くかな。会が始まると運営委員会の委員長から挨拶があって、そのあと記念品みたいな感じで各自オリジナルプリントのハンカチが配られました。安物のハンカチではありますが、ハンカチをもらった参加者は音楽に合わせてみんなでそれを振り回して盛り上がりました。文章に書くと、なんでそんなことで盛り上がるか分からないかもしれませんが、これが盛り上がったのです。。。乾杯などがあり、それから食事と言う時になって仕事で遅れてきた教育長が到着。また音楽がかかってみんなでハンカチを振り回して踊りながら教育長の到着を歓迎。


(ハンカチを振って踊りながら教育長をお出迎えするほかの職員たち)


 タンザニアの常識っぽいですが、とにかく常に音楽がかかっていて、誰かが登場する時、帰る時も音付きです。また乾杯があって、全員が教育長や各セクションの代表者がグラスを持って待っているところへ行列を作って乾杯しに行きました。この時も音楽がかかってみんなグラスを持って当然踊りながら進みます。
 (記念品のハンカチ。「2009年を終えるにあたって。教育課、テメケ区役所。2009年12月30日。協力おめでとう(どちらかというと、協力に感謝という意味合いかもしれません。)」と書いてあります。)

会の最中はだいたいみんな飲みながら各テーブルで話をして過ごすのですが、途中色々プログラムがあり、代表者がシャンペンをあけたり、ちょっとした余興、ダンスタイムがありました。
 余興では委員会が何人か指名し、教育長の物まねをしてくださいとか、踊りを踊ってくださいとか、真面目なところでは今年を振り返って最も感銘を受けたことを発表してください、とか仲間うちでも目だっている人が前に呼ばれていました。今の教育長は「真面目で仕事に厳しい」という印象の人だったので、物まねする人がその辺を強調したせりふをしゃべってみんなを笑わせていました。

 (時間があいたり、プログラムとプログラムの間はとりあえず踊る。。。という感じですかね。)

最後にまた教育長からダンスタイムの開始のお言葉がありました。ダンスタイム開始の前は、各セクションや校長代表、コーディネーター代表者が前に呼ばれてみんなの前で音楽に合わせて一通り踊ってから全員のダンスタイムとなりました。実は私も前に呼ばれました。踊りとか全くダメな私ですが、ここはタンザニア。郷に入っては郷に従え、ということで最低限のことはやり遂げました。
 ということで、後半は終始音楽がかかり、踊る人、おしゃべりする人、踊って疲れて席に戻って休んでからまだ踊りに行く人、タンザニア人でも全く踊りに行かない人も少数いて、それぞれの時間を楽しみました。教育長も楽しそう。仕事だけでなく、こういう時間も配属先の人みんなと過ごせて本当に良かったです。

皆様も良いお年を。

Tutaonana

2009年12月26日土曜日

青少年向けライフスキルセミナーの開催

Hamjambo?

 メリークリスマス!タンザニアは12月25日と翌日のBoxing Dayは祝日です。前日の24日には職場ではおいしいと評判らしい“シンギダ”地方の地鶏を売りに来ている人がいました。イスラム教徒の私のカウンターパートも祝日前日は「クリスマスだから。」と言ってニワトリを買っていました。宗教に関係なくクリスマスは家族が集まる日のようです。私は今年のクリスマスとお正月は任期も残り3ヶ月となり出歩く気にもあまりなれず、おとなしくダルエスサラームで休養しようと思います。


(車にニワトリを積んでいます。役所の敷地内で職員の人が商売。。。)

 さて、クリスマスの前、12月21日と22日に15歳ぐらいから25歳ぐらいまでの青少年を対象にライフスキルのセミナーを行いました。参加者は25名弱で、その8割ぐらいは学校へ行っていない青少年。小学校しか出ていない人も多かったと思います。テメケにはたくさんの青少年のグループがあり、中には賭け事ばかりやったり集まっては大麻を吸ったりしているグループもありますが、今回はある程度地域のために何かしたいと思っているグループに声をかけ代表者を集めてセミナーを行いました。


 こちらの国では講師以外に参加者に対してセミナーの際に日当が出ることが慣習になってきています。セミナーに呼ばれる=お金がもらえる、と思う人がほとんどです。それに大体は朝から夕方までみっちりセミナーをやるので食事の無償提供も当たり前になってきています。日本的感覚からすると、それはどうなんだ!?と思いますが、特にダルエスサラームのような都会で役所内でも役職が上の人になるとセミナーだけでかなりの日当をもらっているのが現実です。今回のセミナーではNGOと共同開催ということで予算も隊員支援経費とNGOからとで共同で出す予定で進めてきました。日当や食事代はそちらのNGOに出してもらうことにしてセミナーを準備していたのですが、突然そのNGOからの予算が出なくなり、日当なし、食事なしのセミナーをすることになりました。実際、私がセミナーの準備をしているのを知った役所の人が「ノリコ、セミナーをするなら私を呼んで!」と言ってきたことがあり、「日当も食事もないけど。」と言うと「じゃあ、行きたくないわ。日当なしは嫌いよ。」と言われました。こういう慣習がある国でみんな来てくれるのか心配でしたが、お腹がすいて集中力がなくならないように時間を短くし、各青少年グループに直接出かけてセミナーの趣旨や日当は出ないこと、しかし同時にどんなメリットがあるのかを説明し理解を求めて出席してもらいました。結果、理解してくれたと手ごたえのあったグループの人はみんな来てくれました。1つのグループだけ、説明に行った時もあまり落ち着いて話を聞いてくれず、質問もなにもしてくれなかったところがあり、そこの人たちは残念ながら来てくれませんでした。

 内容については、「人生設計と目標設定」、「HIV・AIDSと性感染症」「薬物」そして「仲間の啓発のためのプラン作り」としました。いつもよく一緒に活動しているDon Boscoの青少年向けプログラムで講師をしている人に1日目は話をしてもらいました。普段から彼の授業を見ていてとても知識が豊富で話もうまいと思っていたので、彼にお願いしたのですが大成功でした。

(目隠しをして障害物のあるスペースを歩く参加者。人生においても先の見通しがないと、思わぬ障害物にぶち当たり目標を達成できないということを体感。)

 特に「人生設計と目標設定」では今までそういった話を一度も聞いたことのない人が多かったようで、みんなとても感銘を受けていました。小学校が会場だったのですが、途中で先生たちもやってきて話に聞き入っていました。あとは性感染症についても特に感銘をうけていたようです。HIV・AIDSについての話はよく聞くものの、別の性感染症について医学的な面から説明をあまり受けたことがなかったらしく、ひどくなると、不妊や女性の場合は胎児にも影響があることを聞き、驚いていました。

(薬物に関するセッションで出された発言を板書しました。。。難しかった。短い言葉はいいんだけど、長い発言や説明になると付いて行けず。いい経験にはなりました。) 

 2日目は地元の青少年グループのリーダーが中心になってファシリテーターを務めました。私も「薬物」のところで「たばこ」「お酒」「大麻」使用の健康被害や依存性について四苦八苦しながらスワヒリ語で説明しました。これを機会に薬物のパンフレットを作成したので、それも配布しました。参加者の住む地域では大麻の使用をしている人も多く、間近に常用者の様子を見ているのでなんとなくその害については理解しているようでしたが、依存性についてあまり理解していなかったようで、このセミナーが少しは役に立ったかなと思いました。この辺りではタバコが一本20円ぐらいとしたら、大麻は一本30円ぐらいで売っているそうです。商売している人もいるわけで、なかなか根深い問題と感じます。HIVについてのパンフレットやチラシはたくさんみますし手に入りますが、薬物のパンフレットは少ないので、これからも配布していけたらと思います。

(休み時間には参加しているグループの太鼓と踊りも少しだけ披露してもらいました。)

 最後は仲間にこのセミナーの内容をどう伝えるかについて話し合いました。本当にしてくれるのか。。。少々不安ですが、少なくとも彼らの決意を聞くことができました。各グループにはNGOから無料でもらってきた啓発の雑誌やパンフレットをたくさん配り、グループの持ち物として図書館のようにみんなが読めるように貸し出しなどをして欲しいと伝えました。
 最後にこのセミナーについてのアンケートをとりました。特に良かったところ、特に悪かったところなど書いてもらいました。ほとんど全員の人が「悪いところはない」と書いてくれてとても嬉しかったです。残りの任期を考えるとこういったセミナーをするのも最後かなと思うと少々残念な気もしますが、あとは地元のNGOなどに私たちのセミナーの報告をし、ここで得た情報を生かして行ってもらえたらと思っています。

Tutaonana

(セミナーの参加者みんなで最後に記念撮影をしました。)

2009年12月20日日曜日

沈黙を破れ

Hamjambo?

 先週もまたテメケの若者たちのグループを訪問し、お芝居や太鼓の練習を何度か見に行きました。というのも、週明けの月曜にテメケの若者たち向けにHIV・AIDS、「アルコール」「たばこ」などを含む薬物防止のセミナーをするので、そのセミナーの説明などもあって、いくつかのグループを訪問して忙しく過ごしました。

(テメケの住宅街を太鼓とタンバリンを叩き歌いながら進むユースグループのメンバー。結婚式前日のお祝いのために近所の人に演奏を頼まれたそうです。)
そんななか、来年に延期すると聞いていた職業訓練校の職員向けセミナーを2日後の土曜日にするという知らせを木曜日の朝に突然聞き、木曜、金曜は大慌てで打ち合わせをする羽目になりました。何でも予定通りに行かないタンザニアですが、こんなに急に予定が前倒しになるのは自分も初めてのことで、あたふたしながらセミナーの日を迎えました。
 この職業訓練校は前回も紹介した同期の自動車整備隊員が活動をしているところで、以前に彼の生徒にHIV・AIDSの話をしたことがきっかけで、今回は職員向けに話をすることを頼まれました。この職業訓練校は全国各地に分校があるのですが、そのすべての職業訓練校の職員に対するHIV・AIDSに関するポリシーが発表されました。それに伴い各校の担当者が集められ、HIV・AIDSに関するセミナーを行い、その後、その担当者が各担当校で職員対象にHIV/AIDSにセミナーを行うこととなったそうです。
今回特に力を入れているのは「差別」の問題です。HIV・AIDSの問題に対してみなの「沈黙」をやぶり、真っ向からこの問題に取り組み、HIV・AIDSのない職場を目指そうというものです。
このセミナーではまずは「差別」の問題について話をするところから始まりました。検査に行くということ自体、やはり抵抗のある人が多いという印象を受けました。ファシリテーターとなったダルエスサラーム校の担当者による熱のこもった講義と「沈黙」を破ろうという繰り返し送られるメッセージを受けて、少しずつ参加者も発言をし始めました。
私が担当したのはHIV・AIDSの基本的な知識や検査などについての講義で、日本の状況や世界の状況についても少し話をしました。感染経路の話の中で、やはり性感染が多いことからその点に関する質問を参加者に投げかけたりしながら話を進めました。でも性の話となると、大人の人もとても恥ずかしそうにして答えてくれない人も多く、「差別」のこともそうですが「性」の話についても「沈黙」を破って皆で話し合うということを強調しないといけないのだなと感じました。

(HIVウィルスの働きを抑える効果のある薬。ARV。HIV・AIDSは完治出来ませんが、こういった薬のおかげで陽性者の人も元気に過ごすことができるようになってきたそうです。)


 今回、私とともにファシリテーターとして招かれていたのは、陽性者の女性です。 彼女は区役所のHIV/AIDSの委員会に陽性者の女性代表としてメンバーに入っており、私は彼女とは区役所で知り合いになりました。彼女はポスターの被写体となったり、ラジオ番組で話をしたりした経験もあり、陽性者ということをはっきりとカミングアウトしています。今回のセミナーで職業訓練校のHIV/AIDS担当者が「差別」の問題について話が出来る人を探していたことから彼女をその担当者に紹介しました。

彼女はすでに薬の治療を始めていますが、HIVのPositiveと診断されてから10年以上元気に暮らしています。3人のお子さんのうち、末っ子の一人が陽性者だそうで、彼女はこのセミナーで自分のことを包み隠さず話してくれました。陽性ということがわかって仕事をやめさせられたことなど堂々と自分の経験を話しました。タンザニアでもまだ自分が陽性であることをカミングアウトすることが出来ない場合が多い中、彼女は積極的にセミナーなどに出かけては自分の経験を話しています。今では彼女のお家はちょっとしたクリニックのようで、たくさんの人が彼女のアドバイスをもらいに来るそうです。すぐに病院に行く勇気がなかったり、この症状はAIDSではないかと心配になったり、色々な人が彼女を頼ってくると言っていました。

(写真に写っているこの二人と私をあわせた3人で今回のセミナーのファシリテーターを務めました。)

 今回この職業訓練校のHIV/AIDSのポリシーでは、「職員がHIVの陽性者であることを理由に解雇されない。」あるいは「採用の前に検査を強要されない。」などの文言が明記されているそうです。区役所でも学校の先生でも陽性者の人が元気に仕事を続けています。これから益々こういった職場が増えていくことが期待されます。一方で日本の状況はこの点どうなっているのか逆に気になりました。

最後に、今回は色々な人と協力してこのセミナーに関わることができ、自分もよい経験ができたし、自分の持っている人脈や知識を使って少しはタンザニアの社会に貢献できたかなと感じることのできた活動でした。セミナーの最後に、その陽性者の女性のところに寄ってきて、「実は自分も陽性者なのです。」と伝えに来た人もいたそうです。それにしても、この学校の生徒にHIV/AIDSの知識を問うアンケートをさせてもらいたいと最初にお願いしたことがきっかけでこの学校と関わりをもつことになり、ついには今回のセミナーに至りました。本当に何がきっかけで活動の幅が広がるかわからないものだと思いました。

Tutaonana 

2009年12月14日月曜日

ロード・プロジェクト

Hamjambo?

 タンザニアは12月が学年末なので、どこの学校も1月の新学期までお休みです。それとともに各地で卒業式もたくさん行われる季節になりました。同期で同じダルエスサラームにある職業訓練校で自動車整備を教えている隊員がいますが、彼の学校でも卒業式が行われ、それにも招待され少しお邪魔してきました。先生や生徒たちと仲良くやっている同期の隊員の活躍ぶりを見るのもとても刺激になります。


(卒業生によるコーラス。校歌みたいに聞こえたのですが。。。)

(同期隊員。この学校で自動車整備を教えて活躍しています。「整理整頓して整備をしましょう」「ゴミはゴミ箱に捨てよう」という自作のポスターの前で。頑張ってます!)


さて、卒業式の翌日、昨日は最近よくお邪魔する青少年グループがお芝居のコンテストに出場するというのでそれを見に行ってきました。このグループはまだ役所に登録はしていませんが、映画づくりやお芝居を中心に活発に活動しています。他のグループでお芝居がうまい人を招いては自分たちの活動を見てもらって批評をしてもらい、よいものを作ろうととても頑張っています。男女ともに人数が多く、察するにみんな仕事もほとんどないし、学校にも行っていない子たちのように思いますが、何か打ち込めることがあるというのはいいことなのではないかと思います。

 大会の前日は指導をしてくれている青年たちも遅い時間まで練習に付き合い、その日の夜はみんな一緒に稽古場(と言っても長屋の前の庭みたいなところ)で雑魚寝をして大会当日を迎えたそうです。日本で言えば部活みたいな感じですね。寝たのも外らしく、雨が降ってきたら中に入って雨宿りし、また外で寝たと言っていました。
(指導する青年たちとお芝居の練習をするグループのメンバー。ここで練習し、ここで合宿も。。。)

 お芝居のテーマは「HIV・AIDSの存在しないタンザニアは可能か?!」です。この地域の7つのグループが10分程度のお芝居を作って競い、4名の審査員が招待されていました。

この大会を主催したのはUSAID(アメリカ政府の支援)の資金を得たNGOです。この地区は大きな幹線道路沿いにある地区で、長距離トラックの運転手の出入りが激しく、彼らの中には次の仕事まで2、3ヶ月この地区で過ごす人たちもいるそうです。調査の結果、そういった人の出入りが激しく、AIDSを含む性感染症、麻薬などが外から持ち込まれる可能性が高いということで、このNGOは「ロード・プロジェクト」と呼ばれる教育プロジェクトをこの地区で展開しています。今回の大会は若者向けのプログラムの一環で行われたようです。

まず、驚いたのは、それぞれのグループが活動している地域はそれほど広範囲に渡る地域でもないのに、当初は10グループがこの大会に参加を申し込んでいたようです。結局7つに減りましたが、タンザニアの人たちのお芝居好きと役者ぞろいがうかがえます。ダルエスサラーム中を見たら、たぶんものすごい数のグループが存在すると思います。

(大会会場での発表。くじ引きの結果トップバッターで演技をしました。)
こういう大会がAIDS啓発にどれだけ役立っているかについては、そこそこインパクトがあると感じます。演技力や構成とともに、どのグループもHIV/AIDSについてのメッセージを、観客に対しいかに正しく伝えられたかが審査の大きなポイントになっています。どの参加者もよいお芝居を作るにはHIV/AIDSの正しい知識が必要です。ただ、行動がどれだけ伴っているかについては疑問に思うのも事実です。

さて、応援しに行ったグループの結果については残念ながら入賞を逃しました。素人目にみると、なかなかいい線行っていて、3位ぐらいにはうまく入れるかと期待しましたが、彼らにとっても初めての大会参加でそう簡単にはいかないようでした。でもみんなやり切った達成感のようなものを感じているようでした。1位はパントマイム的なお芝居をしたグループで、HIV・AIDSを恐れているにも関わらず、誘惑には勝てない男性を演じていました。

最後に、この大会に入賞するとちょっとした賞金が出たのですが、うわさによると1位になったグループは審査員と密な関係にあったとか、なかったとか。。。スポーツのようにはっきりした点数で競うものでもないので、公平な審査がさらに難しくなります。特にこの国だから難しいというのも否めない事実のように感じます。HIV・AIDSとともに、賄賂もこの国では国家として取り組む重要課題となっていたのを思い出しました。

Tutaonana

2009年12月4日金曜日

Music, Dance and Play in Tanzania


Hamjambo?

先日12月1日は世界エイズデーで区役所主催のイベントがあり、そこに行ってきました。たくさんのグループ、NGOなどが参加しており、今年は会場でたくさんの人に声をかけられ、この1年で随分知り合いが増えたことを実感した一日でした。
(世界エイズデーのテメケ区役所イベント。たくさんの団体がバナーを持って行進しました)


タンザニアでは「○○の日のイベント」あるいは「○○のキャンペーンイベント」というものがとても多いように感じます。「世界エイズデー」はもちろんのこと、「世界平和デー」「女性デー」、「青少年デー」など、それに加えて国の独立記念日なども大々的にお祝いします。キャンペーンも色々あるようで、エイズ関係のもの、ジェンダーに関するもの、マラリアなどの保健関連のものなど色々なキャンペーンの話も聞きます。そしてこういったイベントごとに欠かせないのが、ンゴマ(太鼓などの伝統楽器の演奏と踊り)とお芝居です。

(ンゴマのグループ。世界エイズデーにて)

12月1日の世界エイズデーでもンゴマ、お芝居などが披露されました。この日のンゴマ(太鼓と踊り)は10人ぐらいの大人数のグループでしたが、衣装が個性的で元気なグループでした。お芝居は病院に行ったりしても病状が良くならない子どもを呪術師のところに連れて行く母親の話でした。訪問看護のグループの人が薦めても子どもを病院に連れて行こうとしないというものです。
(世界エイズデーのお芝居。左が呪術師の役の人)

先日は「税金支払いデー」とでもいうような日があり、その日もイベントが開かれました。知り合いのユースグループがこの日、お芝居と太鼓の仕事を請け負ったので見に行きました。ここでも来賓が来るまで、伝統的な太鼓なども入れたバンドの演奏があり、ボーカルの人が「税金」をテーマにしたらしい歌を歌っていました。伝統ンゴマの演奏と踊りももちろんあり、そのあと、友達のユースグループの人たちが「税金を払うことに寄って福祉施設などの充実が図られる」ということをテーマにしたお芝居をしました。
 

(「税金を払おうキャンペーン」?!のイベントでのお芝居の様子)

私の活動しているテメケ区はこういった伝統ンゴマの演奏、踊りやお芝居だけで生活を立てているひとがちょくちょくいるように感じます。有名なアーティストの多くもテメケ出身者が多いと聞きます。最初、こういった芸術だけで食べていけるのか疑問に思いましたが、最近はなんとなくそれも可能なのかもしれないと感じます。というのも、国レベル、県レベルのイベントだけでなく、家族のイベントなどでも音楽が欠かせない国だと感じるからです。つい数日前、ユースグループのメンバー2人が「今から仕事に行く」と急に言い出し、何かと思ったら近所に住む女性たちから太鼓の演奏と歌を頼まれたらしく見学させてもらいました。

(右のほうで歌を歌っている少々長髪の男性が有名なアーティストで、テレビでもお見かけします)

その女性たちは友達が子どもを産んだのでみんなで贈り物を届けに行くのだけれど、それにBGMが必要ということらしかったです。彼らの「仕事場」に行くと、「待ってたんですよ!」と楽しげに話しをする女性たちが10人ほど集まっています。女性たちが2人の青年に少しばかりのお金を渡し、皆で友達の家に向かって歩き出すと、青年たちは太鼓とタンバリンを叩きながら歌を歌い始めました。と思うと、みんなそれにあわせ歌いだします。皆で青年2人の演奏と歌に合わせ、歌い踊りながら子どもを産んだ友達の家まで細い路地を通りながら進んでいきました。

文章で書いてしまうと味気ないのですが、とても幸せなシーンでした。みんな歌いながら嬉しそうで幸せそうで弾んでいる感じとでも言うのでしょうか。太鼓の演奏にあわせてみんなで歌い踊りながら進んでいくと、途中でだんだん人数が増え、目的地の家に着くと人数が倍以上に増えていたように思います。近所の子どもたちも寄ってきて、家の前の狭い路地でも皆でひと踊り。このお家にはCDデッキらしきものがあり、ここで音楽はCDにバトンタッチ。ここで青年たちの仕事終了。時間にして正味20分ぐらいでしょうか。

 毎日とは行かないでしょうがこういう仕事がちょくちょくあるようで、ちょっとしたお小遣いにはなります。若い人たちの仕事がなかなかないと言われているなかで、演奏が上手だと評判になればちょっとした小金が稼げるようです。

 これからCDなどを利用する人も増えるのかもしれませんが、貧しい人もまだまだ多く、電気がない家も多いし停電もなくならないという状況の中、しばらくはこういう仕事もなくならないだろうと思いました。

Tutaonana

2009年11月21日土曜日

ユニセフ親善大使のテメケ訪問

Hamjambo?

 そろそろ小雨季に入ったようで、ちょくちょく雨が降ります。念願のソーラーパネル設置の件は約束の日から数日遅れたものの、なんとか工事が始まり今日明日には終わる予定です。やる気になれば出来るものです。

 さて、「ユニセフ親善大使」と言えば「黒柳徹子さん」というのが日本での常識。でも世界には何人かのユニセフ親善大使がいて、先日その中の一人であるアンジェリーク・キジョーさんがテメケにやってきました。彼女は西アフリカ、ベナンの出身で現在はアメリカで活動をしている歌手です。自分も全然知らなかったのですが、有名な方だったらしく(本当に失礼ですよね)テメケの若い子たちに聞くと知っているし、彼女がタンザニアに来た後、携帯電話会社の宣伝用ポスターにデカデカと写真が写っていてびっくりしました。彼女はアフリカ出身の女性として特に途上国、アフリカの女子教育に関心がありそういった面で活動をされているようです。


(調理、被服コースの生徒たちに声をかけるアンジェリークさん)


今回は妊娠、出産をした女子生徒を学校に戻そうというキャンペーンの一環でタンザニアを訪れました。というのも国会で妊娠出産をする女子生徒は他の生徒に悪影響を与えるから来ないほうがよいと発言された国会議員がいたようで、それにたいしてもユニセフとして圧力をかけたいという話でした。

(右側が子どもを連れた女生徒たち、左側がユニセフ、区役所関係者と親善大使。職業訓練センターにて)



(左が電気コースで学ぶ数少ない女子生徒と励ましの言葉を述べるアンジェリーク・キジョーさん)


 アンジェリーク・キジョーさんは、私がいつも行っているテメケの職業訓練センターと机を送ったブザの小学校の生徒のうち、子どもを産んだ女生徒たちと直接話をしました。自分もあまりよくわかっていなかったのですが、職業訓練センターでよく顔を見る生徒たちの中にも子どもがいる生徒がいることを今回知り、びっくりしました。彼女たちはこの日、自分の子どもたちを学校に連れてきていたのですが、生徒たちも若いのに結構大きい子どもがいる生徒もいてさらに驚きました。



(女子生徒の家の前に集まって近所の人たちと話をするアンジェリークさん)



ブザでは女生徒の家にみんなで行き、庭先で近所の人や地域の役人、校長先生なども集まり、子どもを産んだ女子生徒が学校へ戻ることについてどう思うか、とか、さらには子どもの教育について意見を交換しあいました。子どもの教育については、最近テレビやビデオの影響で子どもたちの情報が増えていることや帰りが遅かったり就寝時間が遅くなっていることについても話がおよび、親からの話で「最近の子は親の言うことを聞かない。」とか「学校の先生がもっと子どものことを見て欲しい」などの意見も出て、どこも同じなんだなぁと感じました。それに対してアンジェリーク・キジョーさんが「親がしっかりと子どもが何をしているか見ないといけない。」「学校と親が協力するべきだ。」「政府の責任とか言っているよりまずは地域が協力して子どもを見ないといけない。」などなどと意見を述べられ、これも全く同感と思いながら聞かせて頂きました。




(発言をする近所に住む住人)


ほかにも、「最近帰りの遅い子どもも多くて、自分たち親が寝た後に帰ってくるから子どもが何をやっているかわからない。」だから子どもが妊娠したりしても分からないというようなことを言った人がいました。これに対してアンジェリークさんが「毎日最後に家の鍵を閉めて子どもがいるか確認するのは親の役目。」と発言され、これにも同感。最後に「アフリカのよき伝統が失われて、先進国の悪い部分をまねている。」という話がでました。



(教育について発言をするブザ小学校の校長先生)

タンザニアにはまだまだ発展途上の部分もある一方で、車やテレビ、ビデオ、インターネットに携帯電話と言った新しいものがものすごいスピードで普及するにつれ、便利な部分が増えるけれど青少年への影響などのマイナス面をどう克服していくかがこれから益々大きな課題になっていくのだと感じました。それとともに、教育問題は世界共通だとあらためて感じました。
 
 さて、この訪問にはたくさんのメディア関係者も同行しており、翌日配属先に行くと、「Noriko、あなた昨日のニュースでテレビに映っていたわよ!」と言われました。「ええぇーそうだったの~?!」とビックリ。自分の姿を見れなかったのは残念。でも今回は本当に貴重な機会を与えてもらいたくさん勉強できました。

Tutaonana

Angelique Kidjoさんについての情報は以下です。

http://www.unicef.org/people/people_angelique_kidjo.html


2009年11月12日木曜日

「強くなりなさい。」とママは言った

Hamjambo?

うちの大家さんが家の目の前で雑貨屋さんを開いてから1ヶ月近く経ちます。日本で言えば、家の前にコンビニが出来たようなもの。日用雑貨もろもろなんでも一通りそろうし、なんとチャパティ、バギア、マンダージ、フレッシュジュースにポップコーンまで売るようになり、我が家で引きこもりになりそうです。

 (家の前にできたお店。今日はフレッシュジュースを頂きました。300tsh(30円ぐらい))

 さて、今日はテメケ区の果てにあるキチャンガーニ小学校にソーラーパネルを設置する件で村まで行ってきました。この仕事、本当に時間がかかり、気が遠くなりそうというか、自分の任期中に終わらない気がしてきて不安になっていたところです。それがここに来て急展開。今日業者の人と役所の人と一緒に下見に行き、うまくいけば明後日から工事開始。工事が始まれば三日で設置が終了するそうです。
しかしながら、ここまでくるのに非常に、非常に時間がかかりました。最初に学校を見学しに行った日から10ヶ月。日本だったら半分以下の時間で済んでいたと思います。なんで急展開があったかというと、それはついに私の堪忍袋の緒が切れたから。

 

(業者の人も来てくれて教員住宅の様子を下見)

  これまで自分がタンザニアにいてその国のやり方に沿ってやらないといけないし、結局自分はよそ者ということもあり、この件でかなり我慢に我慢を重ねてきました。一緒にこの仕事を進めている役人の人はどんな時でも「Hamna shida!(問題なし)」と笑顔で答え、「○○やっておいてね。自分の仕事の量から言っていつできる?」と尋ねても自信を持って「○○までにできる。」と言って出来たためしがほとんどなし。この仕事を始める前に「車の問題があるからこんなに遠い学校の仕事をするのは不安だ。近くの学校のほうがいいのでは。」と散々言った時も彼は笑顔で「問題ないよ。」と言っていました。いつも「もう絶対この期限までにやらないと大問題になりますよ。」と私が言って最後の最後にやる。。。という人で、本当に参りました。


タンザニア人みんながこんな風かと言われると、若干のんびりしている人が多いですが、自分の周囲には逆にものすごく仕事が速く尊敬できる人も多いしなんともいえません。ですが物理的な要因で仕事がはかどらないということは確かに多いです。例えば停電、ガソリン代がない、車がない、などなどあれこれ物がないことが妨げになっていることも確かです。でもよく観察してみると、この件で私と一緒に仕事をしているこの役人の人は周囲の人からも「きちんと仕事ができてない人」と思われているようにも感じます。
(教員住宅の中も見せてもらいました。台所。炭のコンロ、お鍋、芋が見えます。自転車は公共交通機関がないので欠かせません。)

技術者の彼に業者と一緒に下見をしておいてくださいとお願いしたのは自分が旅行に行くずっと前。旅行の予定も早めに伝え、旅行先からもメールをし、散々せかしてきたけどなんの進展もなし。結局自分も一緒に行くことになり、このところ毎日のように「下見にいくから。」と言われ、準備をして待っていると「今日は車が準備できないから行けない。」と先延ばし先延ばしになっていました。しかもこちらから尋ねないと連絡してくれません。(ちなみに学校は公共交通機関が無いところで50km先にあるので車しかいけません。)
こんな調子で毎日車の状態を尋ねてから自分の予定を考える日が続き、しかも「この仕事が終わるまで他のことを始めるな。」とカウンターパートに言われるし、ストレスがピークに達していました。(というかこの時点で残りの仕事は私がいなくても本来できる仕事なんですよね。それに私がすべてやってしまうのも問題です。)そして「今日こそ絶対行ける。」と言われていた昨日、、、結局行けないこととなりついに怒り爆発。教育長、他の教育オフィサーのいる前で、彼に怒りをぶつけました。


私:    「このままでは私の任期中に仕事がおわりません。今月中に終わらなければお金は返金しますから。明日JICAに行ってその話をしてきます。」

彼:    「そんなこと言わず、返金しないで進めましょう。1週間で終わる仕事だから。」(しかも笑顔。私の怒りは頂点に!)

私:    「これまですごく我慢してきたけど、もうこれ以上は我慢できません!10ヶ月かかってできていないのに1週間でできるわけないでしょう!」

彼:    「そんなこと言わず、最近は車の手配が難しいのだから。」

私:    「最近の話じゃないでしょう。やる前から車のことは問題だから気が進まないと何回も言ったのに。大丈夫って散々言うからやることにしたのです!」
彼:    「。。。。」
私:    「私は真剣なんですよ!なのにあなたたちは真剣じゃない。とにかく今月中におわらなければ返金します。1日でも遅れたら返金です!!!」

正直、ちゃぶ台があればひっくり返したかった気分。このやり取りを見ていた彼の上司の教育長も他の役人も、「あらまあ、10ヶ月。。。」とつぶやいていました。他の人たちが彼よりも私の言い分を正しいと思ってくれたことは明らかです。タイミング的には間違ってなかったのは確か。これがあまり早く言うと「日本と違うから」とか「問題ない」と言われてしまい、怒りを表したこちらが悪者になる恐れもあり難しいところです。

そして最後に彼は「我々は真剣だから必ず明日はやる。」と告げました。(本当か!?)

(今日は4年生の国家試験でした。4年生だけが試験を受けていてあとの生徒はいません。)

 あまり期待せずに迎えた今日。なんと車を手配して出発。でも「途中で何かおこるかわからない」という考えが頭から離れず、学校に近づくまで半信半疑のまま過ごしました。ですが、予想に反して事はスムーズに運び、なんと彼の言ったように「すべては1週間で終わる」可能性も出てきました。だけど「やればできるじゃない」という一言では片付けられない気もするこの状態。以前に私のカウンターパートのママが「ここで仕事をするには強くならないといけない。あなたも強くなりなさい。」と言ったことを思い出します。

なんとか一歩進みましたが自分はまだ半信半疑。きちんとできたらまた報告します。


Tutaonana

(6年生の女の子たちが食事を作りのお手伝いに学校に来ていました。)

2009年11月7日土曜日

ソーダについての考察

Hamjambo?

少し涼しいなと思っていたら、昨日はなんだかとても暑く感じて汗をダラダラ流していました。そんな時は水分補給が大事!水をたくさん飲む毎日ですが、同時にタンザニアに来てから日本では自分はほとんど飲まなかった炭酸系のジュースを飲む機会が増えました。
炭酸ジュースのことをこちらの人はまとめて「ソーダ」といいます。私から見ると、タンザニア人は本当によくソーダを飲むように思います。多分アフリカの他の国も同じではないかと思いますが、朝ごはんを食べながら早朝からソーダを飲んでいる人も見ます。タンザニアの生活に慣れてきましたが、さすがにこれは真似する気にはなれません。

(こんなショーケース型の冷蔵庫もどこでも見かけます。)

「ソーダ」の種類は色々で、世界中どこでもある「コカコーラ」はもちろんのこと「ペプシコーラ」「ファンタ」「ミリンダ」「スプライト」「セブン・アップ」(スワヒリ語で サバ・ジューと言うこともあります。「サバ」は7で「ジュー」は「上」という意味。)などはどこでもあります。日本で見ないものでは「ビターレモン」「タンガウィジ」というのがあります。私のお気に入りは「ビターレモン」。これは置いていない店もちょくちょくありますが、ソーダを飲む機会があればまずはこれを注文します。「ビターレモン」つまり「bitter lemon」。そんなに苦いとは思いませんが、「苦味のあるレモン味」ってところでしょうか。「タンガウィジ」も置いていない場合もありますが、これもまあまあ好きです。「タンガウィジ」はスワヒリ語で「生姜」のこと。つまりジンジャーエールみたいな感じで、やや生姜の味がきつめかもしれません。

(お気に入りのBitter Lemon。たまにすごく飲みたくなります。)

このソーダ。最初はちょっと戸惑いました。もちろん水より値段は高いので、お金のない人や子ども、若者にとってはちょっとしたご馳走の部類に入ると思います。初めて色々な学校や施設を訪問したりすると、必ず「ソーダは何を飲みますか?」と聞かれて、御もてなしの意味でソーダが振舞われます。これを断って飲まないというのは大変なことです。最初の頃、よく「大丈夫です。結構です。」と言っていたのですが、相手にしてみれば、「なんでそんなこと言うの!?」と思うようで、断りきれるものではなく、最近は結構黙っていただくようになりました。私もたまに、一緒に活動を手伝ってくれている人にお金は渡せないのでソーダをおごったりすることもあります。

さて、以前、日本からお客さんが学校を訪問するという話になり、事前に校長先生と打ち合わせをする機会に、「日本人は慣れているからソーダなしで大丈夫ですよ。」と伝えたのに、「どうして?ソーダなしと言うわけには行かないわ」といわれたことがあります。「そんなに気を使わなくていいですよ。」と言いたかったのですが、校長先生に「お客さんが来たらあなたの国では何を出すの?」といわれ「お茶とか水」と答えると、「あなたの国でお客さんにお茶や水を出すのと同じようにお客さんが来たらソーダをこの国では出すのよ。」と言われました。これが彼らのtakrima、英語ならhospitality、つまりは「御もてなしの心」と納得するようになりました。学校などでお客さんが来た場合には各先生から毎月集めているお茶代からそのお金を捻出するそうです。

(タンザニアはビールの種類もまあまああります。これはセレンゲティとタスカビール。昔ドイツの植民地だったから、、と聞きますがタンザニアのビールは、軽くておいしいです。他にキリマンジャロ、サファリなどの銘柄があります。)


確かに日本人から見ると、「お金がない」とか「お金が無いから○○ができない。」と言っているのに、贅沢品のソーダは買えるのねと思ってしまいがちです。自分もそう思っていましたが、冠婚葬祭と言った社会的な行事にお金を使うことが避けられないように、これも大事な行為、しかもこれをしないと「失礼な行為」とみんなから見られてしまうのだとだんだん納得するようになって来ました。

でもやっぱり慣れなかったり、みんな決して楽な生活をしていないのにこんなことをしてもらって、「申し訳ない」という気持ちが急に出てくることがあります。また、自分は常に「お客さん」として手厚い御もてなしを受けることが多い一方で、タンザニア人の友人が同じように扱ってもらえなかったりする時があると進んでその厚意を受ける気になれないことがあります。

昨日も、急にそんな気持ちになり、食事を勧められたのを断ってしまいました。その時、相手の態度が一遍して急に不機嫌になってしまい、「失敗したなぁ。。。」と落ち込みました。どこに行っても人間関係は難しいです。

Tutaonana

2009年11月1日日曜日

日本からの「視察の旅」

Hamjambo?

 10月はあっという間に過ぎ去ってしまったように感じます。日本はもう随分涼しくなってきているのでしょうね。タイトルにあるとおり、日本から協力隊を育てる会主催の「視察の旅」を利用して母と叔母がタンザニアにやってきたので、しばらく一緒に出かけたりしていました。1年4ヶ月ぶりに会う母は変わりなく、でもきっと私は随分変わったと思います。髪も伸び放題だし、服もこちらで作ったのを着ているし、随分日焼けもしたし。。。さて、挨拶を大事にするタンザニアですから、活動でお世話になっているところにはちょっとでも顔を出して挨拶しないと大変です。動物やキリマンジャロも見せたかったのでダルエスサラームにいた数日の短い間、疲れているふたりに申し訳なかったけれど役所やいくつかの学校などをつれ回しました。


(ブザ小学校の初等教育補完プログラムのクラス。写っているのは母です。)


1日目はJICAで話を聞いた後、午後にブザ小学校(チャリティーで机を贈った学校。英語を教えています。)、その後いつも一緒に活動している青年のところへ行き、太鼓と踊りを見せてもらいました。2日目は役所、職業訓練校、特別支援学校に行った後、キリマンジャロ方面のアルーシャへ夕方移動しました。ダルエスサラームはタンザニアで一番大きな都市ですが、私の活動しているテメケは細い路地、未舗装の道路ももちろんまだあるし、学校も生徒は床に座って授業を受けていたりして、二人はちょっと驚いていたかもしれません。でも行った先で皆さん歓迎をしてくださって楽しい時間を過ごしました。



(ユースグループ所へ行って、タンザニアの太鼓の演奏と踊りを見せてもらいました。母と叔母)

アルーシャに移動してからはタランギーレ国立公園、ンゴロンゴロ自然保護区でたくさん動物をみることができました。私もこれまで別の国立公園に行ったことがありましたが、今回はそれ以上にたくさん色々な種類の動物を見ることができ、自分も大いに楽しみました。あとは社会の授業で習った「アウストラロピテクス」が発見されたオルドバイ渓谷をハイキングし、骨の見つかった場所まで行ってきました。


(ンゴロンゴロのクレーター。とても美しかったです。)


(ンゴロンゴロンではライオンがシマウマを食べている所を間近で見ることができました。)




(4駆の天井を開けてもらってそこから動物を眺めました。真ん中の人はガイドさん。なんと日本語を勉強していて、一生懸命日本語で動物の説明などをしてくれました。日本語学習暦8ヶ月だそうです。)



このンゴロンゴロ自然保護区の訪問中は思いがけず、私たちが泊っていたホテルに視察に来ていたタンザニアのキクウェテ大統領に会う機会を得ました。「JICA」あるいは「日本のボランティア」はタンザニアでもよく知られていて、大統領ももちろんよくご存知で、「君は日本人かい?」と聞かれたので「JICAのボランティアです。」と答えると、それだけで私がどんな立場の人間か理解されたようです。





(茶色のジャケットとズボンの男性がキクウェテ大統領。私一人が大興奮。母と叔母はあまり誰か最初わかってなかったようです。)


(ンゴロンゴロ自然保護区のメインゲート。日本の企業の援助でリニューアルしました。私たちが訪れた前日に 開所記念の式典が行われました。ちなみにこの自然保護区はクロサイが有名ですが10頭しかいないそうです。)

翌日はキリマンジャロ地域に多いチャガ族の人たちの村を訪れ、コーヒーの木の栽培の様子、収穫などの工程を見せてもらい、実際自分たちでコーヒー豆を炒って粉にし、コーヒーを飲んだりしてきました。母と叔母はこのプログラムが大変気に入ったようでした。こういった観光客の案内で得たお金で村の学校の教室を建てるなど公共の目的にいくらか使っているそうです。私も初めての体験でとても興味深かったです。

(チャガ族の人がコーヒーの豆のことや栽培のことについて教えてくれました。)

(チャガ族の伝統的な家の前で。100年以上前に建てられたそうです。)

ダルエスに戻り、別の小学校と洗車の仕事をしている元ドラッグユーザーのグループにちょっと寄り、なんとか挨拶周りは終了。自分のほうがホッとしました。

(オルドバイ渓谷の全体の眺め)


旅行最終日は日本大使の公邸にお邪魔し、旅の思い出などを大使に報告しました。全部で7家族が参加したのですが、みなさん色々な体験をされてたくさんのことを報告されていました。空港へお見送りに行くと、ブザ小学校の校長先生が来てくれました。慌しく空港内に母と叔母が入り、なんと、そのあと遅れてお土産を持ったPTAの会長さんが到着。。。Pole sana. まあこれもタンザニア。

見送りのあと、校長先生たちと一緒にダラダラに乗ってテメケに戻ると、活動仲間の青年と職業訓練校の生徒たちに偶然会うことができました。テメケの皆の顔を見て安心している自分がいて、戻るべきところに戻ってきた気がしました。タンザニアを旅行したのですが、別世界に行っていたような気分ですし、かなり散財したように思います。Nimefuria!(破産しちゃった!)って毎回みんなに言っているこの頃です。

Tutaonana

2009年10月16日金曜日

私たちは今をどう生きるのか?!

Hamjambo?

 昨日は「ニエレレの日」で祝日でした。去年のニエレレの日はたしか海に行きました。そして今年はちょっぴり仕事で、普段からよく行く職業訓練センターが参加した学校対抗の文化祭のようなものを見に行ってきました。


  NGOが開催したこのイベントのテーマは「私たちは今をどう生きるのか?」で、エイズ、薬物や青少年の生き方などについてのメッセージを載せた劇、合唱、ラップ、詩、絵、作文、ライフスキルクイズ(エイズや薬物、生きる力などについてのクイズ)、などを学校対抗で競うもので、この日はファイナルでした。それぞれの分野で16校の中から選ばれた4校が決勝に残りました。我が「テメケ職業訓練センター」もお芝居と詩の部門で決勝に残り、全校生徒で応援に行ってきました。




 

(詩の部門の発表。メロディーに載せて歌にして発表します。テメケ職業訓練センターの発表です。)


 いつもハーモニカ指導などを手伝ってくれているユースグループの青年がここでも特にお芝居の指導をしてくれ、生徒たちも勉強そっちのけ。。。で大会前は毎日猛練習をし、この日に臨みました。私もこの1週間ちょっとの間、ほとんど毎日お芝居の練習には顔をだしていました。その間にユネスコ、ユニセフ、教育省などからお客さんが来る機会があり、リハーサル代わりに劇をみんなの前で披露したりして生徒たちは着々と自信をつけていきました。指導してくれている青年に生徒たちも親しみ、仲良く頑張っている様子を見ているのがとても楽しいしい毎日でした。



               (主人公のマジュート君(左)は悪い友人に誘われ。。。)
          
 お芝居のタイトルは「Majuto」。マジュートという男の子の話です。このマジュートと言う名前、実はjuta(後悔する)という言葉が由来で、マジュート君はせっかく中学校の卒業試験に合格したのに、お酒や薬物、女遊びへと悪い友達の誘いに乗ってしまい、人生の目標を無くしてしまい最後に後悔するというものです。ユースの青年が書いたお芝居で、色々なメッセージが含まれているなかなかよい話でした。本番では会場が大きくてうまく声が届かなかったり、マイクを使ったらマイクの調子が悪かったり、ちょっと普段と様子が違って力が出し切れなかった部分もありましたが、審査員の一人は涙を流して聞いていたそうで、結果はなんと第2位!!本当にすばらしかったです。詩の部門でもなんと1位を獲得!みんな大喜びでした。




         (お父さん、お母さんは息子の行為に対して嘆き悲しんでいます。)


帰りはバスを借り切ってみんなで帰りましたが、帰りの間中、バスの中みんな歌を歌い続けていました。本当に満員で日本の満員電車のような状態でしたが、座っている生徒も立っている生徒も全員が歌っていて、外からみたら「歌うバス」みたいになっていたと思います。でも指導してくれた青年は、真剣に仕事としてお芝居や音楽をやっていこうとしている人なので、彼にしてみれば2位というのはちょっと残念だったかもしれません。

さて、大会翌日の今日。誰が言ったのか、もらった賞品が「テレビ」「DVDデッキ?」というデマが流れていたようで、よくよく聞いてみると、詩の部門の1位の賞品は「テレビ」ではなく「掛け時計」、「DVDデッキ」と先生まで思い込んでいたものは実はノートの束だとわかってみんなガッカリしていました。私は昨日賞品を預り、翌日の今日、学校に届けたのですが、触ればノートってすぐ分かるのになんでそんな風に思うのかなぁとちょっと大人も含めた子どもっぽいところに驚きました。16校の中から選ばれて1位や2位になることだけでもすごいことなのに、賞品がよくないと大人たちまでそのことしか言わないのが残念でした。まずは子どもたちの頑張りに対してもっと褒めて欲しかったと思いました。




          (イベントでの生徒の活躍をニュースレターにして掲示板に張りました。)

でも今日、劇を指導してくれた青年が来てくれ、「賞品にがっかりした。」という生徒たちに対して「よくやった」ということや、「賞品は賞品というだけのこと。君たちは始まったばかりだけど、これで名前も知れたし実績も出来たしこれからだ。」ということ、もっと本質的なことを話してくれました。私も、誰もが入賞したいと思っている中、16校の中から選ばれたことがいかにすごいことかというようなことをつたないスワヒリ語で話をしました。少なくとも芝居をした生徒たちはわかってくれたように思います。これからもお芝居を続けて行きたいと言っていました。出来ればもっと彼らの活躍の場を与えてあげたいと思います。さあ自分に何ができるのか。。。


Tutaonana

2009年10月10日土曜日

タンザニア縦断1500km バスの旅

Hamjambo?

 ブログ書くのをご無沙汰していましたが、決して病気などではなく、活動やそれ以外でも何かと忙しかったことと、旅行に出かけていたため時間がありませんでした。 前回のブログアップ以来、パキスタンからタンザニアに遊びに来てくれた友達と一緒に世界遺産であるキルワ遺跡にも行ってきましたが、今回はタンザニア南西部の旅の報告です。

今回の旅の目的は一番交通アクセスが悪くダルエスサラームから遠い隊員の人たちの活動場所を訪れること、あと最終目的地であるマラウィとの国境であるニャサ湖(マラウィ側はマラウィ湖と呼びます)にたどり着くことでした。南西部方面に住む隊員の活動場所はダルエスサラームから最低でもバスで2日かかるところにあります。特にこの方面の隊員にとってきついのは交通手段にバスしか選べないことです。他にも遠いところに住む隊員がいますが、他の地域はいざとなったら飛行機が使えることで少しは気持ち的に楽かと思いますが、こちらはそうはいきません。

さて、7泊8日の旅のほとんどは移動で、全部で9回バスを乗り換えたことになります。ほとんど毎日移動で、バスに乗っていた時間はのべで50時間ぐらい。。。さすがにお尻の尾てい骨が痛くて途中少し辛かったです。私は幸い何のバスのトラブルにも会いませんでしたが、日本と違ってエンジントラブルやタイヤのパンクなど、途中でバスが止まってしまうこともしばしばだそうで、遠くに住む隊員はダルエスサラームに出てくるだけでも本当に大変です。

旅行1泊目は以前にも行ったイリンガでJICAの調整員のお宅に泊り、2日目はそこから8時間先のソンゲアでバスを乗り換え、キゴンセラという同期隊員が理数科教員をしている村まで行きました。このあたり、南西部は植民地時代にドイツ人が住んでいたところだそうで、キリスト教徒が多く、訪れた隊員の住む村にも大きな教会がありました。また、ダルエスサラームと違って地面は赤土なので見える景色も違いますが、家も赤土を使ったレンガで造った家が多く、とてもしっかりして丈夫そうでした。

(キゴンセラボーイズ中学校。寄宿舎学校です。元大統領のベンジャミンムカパ氏もここで勉強したという伝統校。この日は卒業式でみんな待ち時間に余興の歌や踊りを見せていました。)

3日目はまた移動で、そう遠くはありませんがコーヒーの産地のひとつであるムビンガに移動しました。ムビンガの隊員もこの町唯一の日本人として頑張っていました。活動先の村々への移動は今のところ自転車しかなく、時には往復40kmを自転車で移動すると言っていて、頭がさがる思いでした。

              (ムビンガの近郊の村ではコーヒー豆を育てていました。)

さらに4日目はムビンガからニャサ湖畔の村、ムバンバベイに移動しました。言ってみれば特に何もない湖とその村ですが、湖にゴミも浮かんでいないし、自然がキレイに残されている気がしました。(でも住血吸虫がいるので湖には入れません!)必要なものは一応何でも買うことの出来る村なので、のんびりするにはいい所です。一応国境の村なのでイミグレーションもあり、週に1回はマラウィから船が到着するそうです。そして夜はなんと湖のほとりで蛍をみることができました!!蛍、タンザニアにもいたんですね。バスは一日1便のみなのでその日は湖のほとりで一泊しました。

                   (ニャサ湖の風景。とても静か。)


5日目はムビンガに戻って、隊員の人の活動先の村を訪れたりしました。ムビンガでさらに一泊し、コーヒー工場で採れたて、轢きたてのコーヒーの粉をお土産に買いました。とてもおいしいと評判ですが、工場直売なので1kg日本円で、約400円。。。安すぎます。

                (ここでコーヒーを炒ったり粉にしてくれました。)

                 (コーヒー豆。加工する前で白っぽいです。)


さて、ダルに向かって帰ることになりましたが、ここから最低2日またかかります。6日目は途中ソンゲアという町で1泊。ここもドイツ人の影響でしょうが、おいしいソーセージが有名です。お土産に生のソーセージをしっかり購入しました。7日目はまたイリンガに戻って障がい者の自立支援施設として有名なネーマクラフトに寄ってお土産を買い込みました。夜は偶然その日に催されたタンザニア人の結婚式にも出席する機会がありました。

         (花嫁、花婿さんの後ろは去年結婚したカップルと言っていたと思います。)

          (新郎新婦への贈り物はみんな踊りながら運んで二人に贈ります。)


8日目、、、イリンガからダルエスサラームに移動。。。。夜9時ごろ自宅に到着しました。。。
本当に大移動の旅でした。同じ隊員という立場ですが、やっぱりダルエスサラームの隊員はとても恵まれているなと実感しました。みんな頑張っているし、あと5ヶ月自分も頑張らねばと再奮起した次第です。

Tutaonana