特に日本の先生方の訪問はタンザニア人の先生方にとってもとてもよい経験になったのではないかと思いますし、準備の期間も通して私もたくさんのことを勉強することができました。日本の先生方はタンザニアでのエイズ教育の実態をお知りになりたいということだったので、テメケ区内の先生で、エイズ教育やライフスキル教育にとても熱心で勉強もよくされている方にお願いして特別模擬授業をしていただきました。
授業は先生が導入に流行りの歌を使って生徒の興味関心を集め、そのあとグループディスカッションをしたり、全体としても生徒に対する発問をもとに薦められました。言葉の理解ができなくとも、教師の一方的な授業でなく、生徒主体の授業であったことは日本の先生方にも十分通じたようです。授業の流れについてはほとんどの先生方が絶賛されていました。また生徒の授業態度もよく積極的に授業に参加しておりそれにも感銘を受けたようです。(これについてはお客さんがたくさんいたから少しいつもと違ったかもしれません。ですが発言はいつもみんな積極的です。)
授業のあとには生徒たちに日本の先生方がいくつか質問をされたのですが、その内容が印象的でした。まずは「エイズにかかったり、あるいは陽性者と言う人に身近に会ったことがありますか?」と質問をされました。正直に言うと、陽性者の方が先生の中にもいらっしゃったり、非常に身近な問題ということを普段から感じていたので、自分は尋ねるまでもないと思ったり、同時にちょっと尋ねることを躊躇していたことでした。この質問に対して何人かの生徒が手を挙げてくれましたが、やっぱり少し恐る恐る手を挙げる様子が印象的でした。「その人が誰かは言う必要がないですよ。」と伝えてやっと手を挙げてくれた感じがしました。やはり陽性者にたいする特別な見方が残っているのかなと思った瞬間でした。
(導入で、生徒の代表3人がエイズのことについて歌われているポップスを皆の前で披露してくれました。Ferooziという歌手の「Starehe(娯楽)」という歌です。U-Tubuでも見れると思います。)
それから次に印象的だったのは「友達がHIV・AIDS陽性者と打ち明けたら何と声をかけますか?」というものでした。授業は理科という教科の中で行われたので科学的な知識を教えることが中心で、心情面についてはあまり重きを置いていません。私も今回の授業について内容を話し合っている際に、自分は陽性者にたいする差別の問題についてどう教えるのか授業を見たいと言ったことがありました。ですが、教科書には載っていないということで今回は教えないという話になりました。この質問をされた日本の先生方も私と同じでそういった心情面というか差別の問題を教える授業を期待、あるいはイメージされていたように思います。この質問に対して生徒がどう答えたかというと、「病院へ行ったほうがいいよ。と言います。そうすれば長く健康に生きることができるよと言います。」とか「親切にしてあげて、愛情を持って接します。」というような答えでした。
以前に同じテメケ区役所の地域開発課という私と別の課に派遣されていたエイズ対策員の先輩隊員がいました。彼女に「HIV・AIDS陽性者の人たちについて、タンザニアでの今一番の課題はなんですか?」と尋ねたことがあります。彼女が言うには、最近、特にダルエスサラームでは陽性であると自らカミングアウトする人が増えてきたそうです。ひとつには色々な援助や寄付を受けるには陽性であると名乗り出ないとその恩恵にあずかれないからだそうです。ですが、一方でその人にとって一番身近な人たち、家族、夫や妻、パートナーにはなかなか伝えられないことが一番の課題だと言っていました。日本の先生方と生徒のやり取りを聞きながら、その先輩隊員から聞いた話を思い出しました。
その日の午後にはJICA専門家の方からタンザニアのエイズ問題について簡単なレクチャーがあり、私も参加させてもらいました。そのなかで、日本でもエイズのことを取り扱うには性教育と切り離すことができないため、寝た子を起こすなというような議論も一方であるという話になりました。ここ、タンザニアでもやはり性のことについてすべて包み隠さず話しをできる大人は少ないように感じます。このことについて専門家の方が紹介してくださったある若者の言葉を最後に紹介します。
「Adults are saying, we are too young to know. But we are too young to die. 」
大人は言います。私たちは知るには若すぎると。しかし私たちは死ぬには若すぎるのです。
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