活動期間が残り少なくなってはいますが、今だにしつこく週末もユースグループを訪ねたりして過ごしています。昨日はみんながよくやっているボードゲーム(ドラフトと言うそうです。)を教えてもらいました。自分は良く知らないけど、西洋碁?のことなのかな。結構頭を使うゲームです。やっているのはほとんど男性ですが、子どもから大人まで街角で真剣勝負している姿をよく見かけます。私も昨日は初挑戦。みんなに助けられながら何人かと対戦しました。
(ボードは立派なつくりですが、駒はペットボトルの色違いの蓋を再利用。こんな風景にどこでもお目にかかります。)
さて、今日は同じテメケ区内にある青少年団体(IYF)を訪れました。ここは韓国人の牧師さん一家が中心となって活動している団体です。日曜の今日はミサが行われたのですが、ミサの前にいつも一緒に活動しているKinyago Theater Groupがパフォーマンスを披露する機会を得たので一緒に行ってきました。タイトルの「タンザニアに骨を埋める」は私のことではありません。タンザニアでは友達もたくさん出来たし、楽しい思い出がたくさん出来たのでここを去るのは淋しいですが、帰国も楽しみしている私です。帰ったら温泉に行きたいなぁ、とかおいしいもの一杯食べたいなぁ、、とか考え出すと切が無く、正直言って骨を埋めるほどの覚悟は出来ていません。「タンザニアに骨を埋めるつもり」でいらっしゃるのはこの牧師さんのことです。
ごく最近までテメケに韓国人一家が韓国人、中国人、タイ人の青少年ボランティアと一緒に生活されていることを知りませんでした。たまたまいつも通っている職業訓練校の先生がこの牧師さんと知り合いで紹介されました。この牧師さん一家はケニアで数年過ごし、そのあとタンザニアに移り、韓国を経ってから15年アフリカで暮らしていらっしゃいます。今日は娘さんとたくさん話をしたのですが、話を聞けば聞くほどすごい一家だと感心と尊敬の念で一杯になりました。
娘さんはケニアでは電気も水道もない村で地元の小学校に通っていたそうです、唯一の東洋人ということで大変ないじめにも会ったと言っていました。お母さんが2年ほど体調が悪かった間は家事すべてを引き受け、夜はろうそくの明かりで勉強したと言っていました。この一家の覚悟のすごさは、お母さんは病気で体調も悪くて家事も出来なかった状態でも韓国に帰らず、韓国の家族から電話があっても「私は元気にやっていますよ」と常に言っていたそうです。娘さんがマラリアの状態がひどくてもう死ぬかという状態でも村を出なかったそうです。よいか悪いか別として、協力隊なんて目じゃないなぁと思ってしまいました。
この一家の子どもたちは地元の学校に通っていたので、スワヒリ語はネイティブ並みで本当にすごいのです。お互い最初は英語でしゃべっていたのですが、途中でスワヒリ語になってしまいました。娘さんは最初、この不便なアフリカでの暮らしが大嫌いだったと言っていました。親の都合で連れてこられたという思いもあったそうで、とにかくアフリカを出ることしか考えていなかったそうです。まあ無理もないと思います。ですが、今はここの人たちのために何かしようという気持ちで、イギリスで勉強した後、またタンザニアに戻ってきたそうです。
さて、帰り道。Kinyagoのリーダーと一緒に話ながら帰りました。彼の夢はタンザニアを出て、いつかはヨーロッパや日本に行って成功すること。「外国で暮らすことは簡単じゃないよ。」と私が言うと、「いや、大丈夫さ」という彼の答え。可能かどうかはわかりませんが、大きな夢をもつこと、外の世界を知ることは大事なことで、彼が色々な人と交流し、異文化に触れ成長する日が来ることを祈る私ですが、なんとなく釈然としない思いもあるわけです。娘さんが言っていた、アフリカさえ出れば自分の人生の問題がすべて解決するわけではない、どこへ行っても同じなんだと気がついた、という言葉が頭に残っています。
Tutaonana
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