2009年11月21日土曜日

ユニセフ親善大使のテメケ訪問

Hamjambo?

 そろそろ小雨季に入ったようで、ちょくちょく雨が降ります。念願のソーラーパネル設置の件は約束の日から数日遅れたものの、なんとか工事が始まり今日明日には終わる予定です。やる気になれば出来るものです。

 さて、「ユニセフ親善大使」と言えば「黒柳徹子さん」というのが日本での常識。でも世界には何人かのユニセフ親善大使がいて、先日その中の一人であるアンジェリーク・キジョーさんがテメケにやってきました。彼女は西アフリカ、ベナンの出身で現在はアメリカで活動をしている歌手です。自分も全然知らなかったのですが、有名な方だったらしく(本当に失礼ですよね)テメケの若い子たちに聞くと知っているし、彼女がタンザニアに来た後、携帯電話会社の宣伝用ポスターにデカデカと写真が写っていてびっくりしました。彼女はアフリカ出身の女性として特に途上国、アフリカの女子教育に関心がありそういった面で活動をされているようです。


(調理、被服コースの生徒たちに声をかけるアンジェリークさん)


今回は妊娠、出産をした女子生徒を学校に戻そうというキャンペーンの一環でタンザニアを訪れました。というのも国会で妊娠出産をする女子生徒は他の生徒に悪影響を与えるから来ないほうがよいと発言された国会議員がいたようで、それにたいしてもユニセフとして圧力をかけたいという話でした。

(右側が子どもを連れた女生徒たち、左側がユニセフ、区役所関係者と親善大使。職業訓練センターにて)



(左が電気コースで学ぶ数少ない女子生徒と励ましの言葉を述べるアンジェリーク・キジョーさん)


 アンジェリーク・キジョーさんは、私がいつも行っているテメケの職業訓練センターと机を送ったブザの小学校の生徒のうち、子どもを産んだ女生徒たちと直接話をしました。自分もあまりよくわかっていなかったのですが、職業訓練センターでよく顔を見る生徒たちの中にも子どもがいる生徒がいることを今回知り、びっくりしました。彼女たちはこの日、自分の子どもたちを学校に連れてきていたのですが、生徒たちも若いのに結構大きい子どもがいる生徒もいてさらに驚きました。



(女子生徒の家の前に集まって近所の人たちと話をするアンジェリークさん)



ブザでは女生徒の家にみんなで行き、庭先で近所の人や地域の役人、校長先生なども集まり、子どもを産んだ女子生徒が学校へ戻ることについてどう思うか、とか、さらには子どもの教育について意見を交換しあいました。子どもの教育については、最近テレビやビデオの影響で子どもたちの情報が増えていることや帰りが遅かったり就寝時間が遅くなっていることについても話がおよび、親からの話で「最近の子は親の言うことを聞かない。」とか「学校の先生がもっと子どものことを見て欲しい」などの意見も出て、どこも同じなんだなぁと感じました。それに対してアンジェリーク・キジョーさんが「親がしっかりと子どもが何をしているか見ないといけない。」「学校と親が協力するべきだ。」「政府の責任とか言っているよりまずは地域が協力して子どもを見ないといけない。」などなどと意見を述べられ、これも全く同感と思いながら聞かせて頂きました。




(発言をする近所に住む住人)


ほかにも、「最近帰りの遅い子どもも多くて、自分たち親が寝た後に帰ってくるから子どもが何をやっているかわからない。」だから子どもが妊娠したりしても分からないというようなことを言った人がいました。これに対してアンジェリークさんが「毎日最後に家の鍵を閉めて子どもがいるか確認するのは親の役目。」と発言され、これにも同感。最後に「アフリカのよき伝統が失われて、先進国の悪い部分をまねている。」という話がでました。



(教育について発言をするブザ小学校の校長先生)

タンザニアにはまだまだ発展途上の部分もある一方で、車やテレビ、ビデオ、インターネットに携帯電話と言った新しいものがものすごいスピードで普及するにつれ、便利な部分が増えるけれど青少年への影響などのマイナス面をどう克服していくかがこれから益々大きな課題になっていくのだと感じました。それとともに、教育問題は世界共通だとあらためて感じました。
 
 さて、この訪問にはたくさんのメディア関係者も同行しており、翌日配属先に行くと、「Noriko、あなた昨日のニュースでテレビに映っていたわよ!」と言われました。「ええぇーそうだったの~?!」とビックリ。自分の姿を見れなかったのは残念。でも今回は本当に貴重な機会を与えてもらいたくさん勉強できました。

Tutaonana

Angelique Kidjoさんについての情報は以下です。

http://www.unicef.org/people/people_angelique_kidjo.html


2009年11月12日木曜日

「強くなりなさい。」とママは言った

Hamjambo?

うちの大家さんが家の目の前で雑貨屋さんを開いてから1ヶ月近く経ちます。日本で言えば、家の前にコンビニが出来たようなもの。日用雑貨もろもろなんでも一通りそろうし、なんとチャパティ、バギア、マンダージ、フレッシュジュースにポップコーンまで売るようになり、我が家で引きこもりになりそうです。

 (家の前にできたお店。今日はフレッシュジュースを頂きました。300tsh(30円ぐらい))

 さて、今日はテメケ区の果てにあるキチャンガーニ小学校にソーラーパネルを設置する件で村まで行ってきました。この仕事、本当に時間がかかり、気が遠くなりそうというか、自分の任期中に終わらない気がしてきて不安になっていたところです。それがここに来て急展開。今日業者の人と役所の人と一緒に下見に行き、うまくいけば明後日から工事開始。工事が始まれば三日で設置が終了するそうです。
しかしながら、ここまでくるのに非常に、非常に時間がかかりました。最初に学校を見学しに行った日から10ヶ月。日本だったら半分以下の時間で済んでいたと思います。なんで急展開があったかというと、それはついに私の堪忍袋の緒が切れたから。

 

(業者の人も来てくれて教員住宅の様子を下見)

  これまで自分がタンザニアにいてその国のやり方に沿ってやらないといけないし、結局自分はよそ者ということもあり、この件でかなり我慢に我慢を重ねてきました。一緒にこの仕事を進めている役人の人はどんな時でも「Hamna shida!(問題なし)」と笑顔で答え、「○○やっておいてね。自分の仕事の量から言っていつできる?」と尋ねても自信を持って「○○までにできる。」と言って出来たためしがほとんどなし。この仕事を始める前に「車の問題があるからこんなに遠い学校の仕事をするのは不安だ。近くの学校のほうがいいのでは。」と散々言った時も彼は笑顔で「問題ないよ。」と言っていました。いつも「もう絶対この期限までにやらないと大問題になりますよ。」と私が言って最後の最後にやる。。。という人で、本当に参りました。


タンザニア人みんながこんな風かと言われると、若干のんびりしている人が多いですが、自分の周囲には逆にものすごく仕事が速く尊敬できる人も多いしなんともいえません。ですが物理的な要因で仕事がはかどらないということは確かに多いです。例えば停電、ガソリン代がない、車がない、などなどあれこれ物がないことが妨げになっていることも確かです。でもよく観察してみると、この件で私と一緒に仕事をしているこの役人の人は周囲の人からも「きちんと仕事ができてない人」と思われているようにも感じます。
(教員住宅の中も見せてもらいました。台所。炭のコンロ、お鍋、芋が見えます。自転車は公共交通機関がないので欠かせません。)

技術者の彼に業者と一緒に下見をしておいてくださいとお願いしたのは自分が旅行に行くずっと前。旅行の予定も早めに伝え、旅行先からもメールをし、散々せかしてきたけどなんの進展もなし。結局自分も一緒に行くことになり、このところ毎日のように「下見にいくから。」と言われ、準備をして待っていると「今日は車が準備できないから行けない。」と先延ばし先延ばしになっていました。しかもこちらから尋ねないと連絡してくれません。(ちなみに学校は公共交通機関が無いところで50km先にあるので車しかいけません。)
こんな調子で毎日車の状態を尋ねてから自分の予定を考える日が続き、しかも「この仕事が終わるまで他のことを始めるな。」とカウンターパートに言われるし、ストレスがピークに達していました。(というかこの時点で残りの仕事は私がいなくても本来できる仕事なんですよね。それに私がすべてやってしまうのも問題です。)そして「今日こそ絶対行ける。」と言われていた昨日、、、結局行けないこととなりついに怒り爆発。教育長、他の教育オフィサーのいる前で、彼に怒りをぶつけました。


私:    「このままでは私の任期中に仕事がおわりません。今月中に終わらなければお金は返金しますから。明日JICAに行ってその話をしてきます。」

彼:    「そんなこと言わず、返金しないで進めましょう。1週間で終わる仕事だから。」(しかも笑顔。私の怒りは頂点に!)

私:    「これまですごく我慢してきたけど、もうこれ以上は我慢できません!10ヶ月かかってできていないのに1週間でできるわけないでしょう!」

彼:    「そんなこと言わず、最近は車の手配が難しいのだから。」

私:    「最近の話じゃないでしょう。やる前から車のことは問題だから気が進まないと何回も言ったのに。大丈夫って散々言うからやることにしたのです!」
彼:    「。。。。」
私:    「私は真剣なんですよ!なのにあなたたちは真剣じゃない。とにかく今月中におわらなければ返金します。1日でも遅れたら返金です!!!」

正直、ちゃぶ台があればひっくり返したかった気分。このやり取りを見ていた彼の上司の教育長も他の役人も、「あらまあ、10ヶ月。。。」とつぶやいていました。他の人たちが彼よりも私の言い分を正しいと思ってくれたことは明らかです。タイミング的には間違ってなかったのは確か。これがあまり早く言うと「日本と違うから」とか「問題ない」と言われてしまい、怒りを表したこちらが悪者になる恐れもあり難しいところです。

そして最後に彼は「我々は真剣だから必ず明日はやる。」と告げました。(本当か!?)

(今日は4年生の国家試験でした。4年生だけが試験を受けていてあとの生徒はいません。)

 あまり期待せずに迎えた今日。なんと車を手配して出発。でも「途中で何かおこるかわからない」という考えが頭から離れず、学校に近づくまで半信半疑のまま過ごしました。ですが、予想に反して事はスムーズに運び、なんと彼の言ったように「すべては1週間で終わる」可能性も出てきました。だけど「やればできるじゃない」という一言では片付けられない気もするこの状態。以前に私のカウンターパートのママが「ここで仕事をするには強くならないといけない。あなたも強くなりなさい。」と言ったことを思い出します。

なんとか一歩進みましたが自分はまだ半信半疑。きちんとできたらまた報告します。


Tutaonana

(6年生の女の子たちが食事を作りのお手伝いに学校に来ていました。)

2009年11月7日土曜日

ソーダについての考察

Hamjambo?

少し涼しいなと思っていたら、昨日はなんだかとても暑く感じて汗をダラダラ流していました。そんな時は水分補給が大事!水をたくさん飲む毎日ですが、同時にタンザニアに来てから日本では自分はほとんど飲まなかった炭酸系のジュースを飲む機会が増えました。
炭酸ジュースのことをこちらの人はまとめて「ソーダ」といいます。私から見ると、タンザニア人は本当によくソーダを飲むように思います。多分アフリカの他の国も同じではないかと思いますが、朝ごはんを食べながら早朝からソーダを飲んでいる人も見ます。タンザニアの生活に慣れてきましたが、さすがにこれは真似する気にはなれません。

(こんなショーケース型の冷蔵庫もどこでも見かけます。)

「ソーダ」の種類は色々で、世界中どこでもある「コカコーラ」はもちろんのこと「ペプシコーラ」「ファンタ」「ミリンダ」「スプライト」「セブン・アップ」(スワヒリ語で サバ・ジューと言うこともあります。「サバ」は7で「ジュー」は「上」という意味。)などはどこでもあります。日本で見ないものでは「ビターレモン」「タンガウィジ」というのがあります。私のお気に入りは「ビターレモン」。これは置いていない店もちょくちょくありますが、ソーダを飲む機会があればまずはこれを注文します。「ビターレモン」つまり「bitter lemon」。そんなに苦いとは思いませんが、「苦味のあるレモン味」ってところでしょうか。「タンガウィジ」も置いていない場合もありますが、これもまあまあ好きです。「タンガウィジ」はスワヒリ語で「生姜」のこと。つまりジンジャーエールみたいな感じで、やや生姜の味がきつめかもしれません。

(お気に入りのBitter Lemon。たまにすごく飲みたくなります。)

このソーダ。最初はちょっと戸惑いました。もちろん水より値段は高いので、お金のない人や子ども、若者にとってはちょっとしたご馳走の部類に入ると思います。初めて色々な学校や施設を訪問したりすると、必ず「ソーダは何を飲みますか?」と聞かれて、御もてなしの意味でソーダが振舞われます。これを断って飲まないというのは大変なことです。最初の頃、よく「大丈夫です。結構です。」と言っていたのですが、相手にしてみれば、「なんでそんなこと言うの!?」と思うようで、断りきれるものではなく、最近は結構黙っていただくようになりました。私もたまに、一緒に活動を手伝ってくれている人にお金は渡せないのでソーダをおごったりすることもあります。

さて、以前、日本からお客さんが学校を訪問するという話になり、事前に校長先生と打ち合わせをする機会に、「日本人は慣れているからソーダなしで大丈夫ですよ。」と伝えたのに、「どうして?ソーダなしと言うわけには行かないわ」といわれたことがあります。「そんなに気を使わなくていいですよ。」と言いたかったのですが、校長先生に「お客さんが来たらあなたの国では何を出すの?」といわれ「お茶とか水」と答えると、「あなたの国でお客さんにお茶や水を出すのと同じようにお客さんが来たらソーダをこの国では出すのよ。」と言われました。これが彼らのtakrima、英語ならhospitality、つまりは「御もてなしの心」と納得するようになりました。学校などでお客さんが来た場合には各先生から毎月集めているお茶代からそのお金を捻出するそうです。

(タンザニアはビールの種類もまあまああります。これはセレンゲティとタスカビール。昔ドイツの植民地だったから、、と聞きますがタンザニアのビールは、軽くておいしいです。他にキリマンジャロ、サファリなどの銘柄があります。)


確かに日本人から見ると、「お金がない」とか「お金が無いから○○ができない。」と言っているのに、贅沢品のソーダは買えるのねと思ってしまいがちです。自分もそう思っていましたが、冠婚葬祭と言った社会的な行事にお金を使うことが避けられないように、これも大事な行為、しかもこれをしないと「失礼な行為」とみんなから見られてしまうのだとだんだん納得するようになって来ました。

でもやっぱり慣れなかったり、みんな決して楽な生活をしていないのにこんなことをしてもらって、「申し訳ない」という気持ちが急に出てくることがあります。また、自分は常に「お客さん」として手厚い御もてなしを受けることが多い一方で、タンザニア人の友人が同じように扱ってもらえなかったりする時があると進んでその厚意を受ける気になれないことがあります。

昨日も、急にそんな気持ちになり、食事を勧められたのを断ってしまいました。その時、相手の態度が一遍して急に不機嫌になってしまい、「失敗したなぁ。。。」と落ち込みました。どこに行っても人間関係は難しいです。

Tutaonana

2009年11月1日日曜日

日本からの「視察の旅」

Hamjambo?

 10月はあっという間に過ぎ去ってしまったように感じます。日本はもう随分涼しくなってきているのでしょうね。タイトルにあるとおり、日本から協力隊を育てる会主催の「視察の旅」を利用して母と叔母がタンザニアにやってきたので、しばらく一緒に出かけたりしていました。1年4ヶ月ぶりに会う母は変わりなく、でもきっと私は随分変わったと思います。髪も伸び放題だし、服もこちらで作ったのを着ているし、随分日焼けもしたし。。。さて、挨拶を大事にするタンザニアですから、活動でお世話になっているところにはちょっとでも顔を出して挨拶しないと大変です。動物やキリマンジャロも見せたかったのでダルエスサラームにいた数日の短い間、疲れているふたりに申し訳なかったけれど役所やいくつかの学校などをつれ回しました。


(ブザ小学校の初等教育補完プログラムのクラス。写っているのは母です。)


1日目はJICAで話を聞いた後、午後にブザ小学校(チャリティーで机を贈った学校。英語を教えています。)、その後いつも一緒に活動している青年のところへ行き、太鼓と踊りを見せてもらいました。2日目は役所、職業訓練校、特別支援学校に行った後、キリマンジャロ方面のアルーシャへ夕方移動しました。ダルエスサラームはタンザニアで一番大きな都市ですが、私の活動しているテメケは細い路地、未舗装の道路ももちろんまだあるし、学校も生徒は床に座って授業を受けていたりして、二人はちょっと驚いていたかもしれません。でも行った先で皆さん歓迎をしてくださって楽しい時間を過ごしました。



(ユースグループ所へ行って、タンザニアの太鼓の演奏と踊りを見せてもらいました。母と叔母)

アルーシャに移動してからはタランギーレ国立公園、ンゴロンゴロ自然保護区でたくさん動物をみることができました。私もこれまで別の国立公園に行ったことがありましたが、今回はそれ以上にたくさん色々な種類の動物を見ることができ、自分も大いに楽しみました。あとは社会の授業で習った「アウストラロピテクス」が発見されたオルドバイ渓谷をハイキングし、骨の見つかった場所まで行ってきました。


(ンゴロンゴロのクレーター。とても美しかったです。)


(ンゴロンゴロンではライオンがシマウマを食べている所を間近で見ることができました。)




(4駆の天井を開けてもらってそこから動物を眺めました。真ん中の人はガイドさん。なんと日本語を勉強していて、一生懸命日本語で動物の説明などをしてくれました。日本語学習暦8ヶ月だそうです。)



このンゴロンゴロ自然保護区の訪問中は思いがけず、私たちが泊っていたホテルに視察に来ていたタンザニアのキクウェテ大統領に会う機会を得ました。「JICA」あるいは「日本のボランティア」はタンザニアでもよく知られていて、大統領ももちろんよくご存知で、「君は日本人かい?」と聞かれたので「JICAのボランティアです。」と答えると、それだけで私がどんな立場の人間か理解されたようです。





(茶色のジャケットとズボンの男性がキクウェテ大統領。私一人が大興奮。母と叔母はあまり誰か最初わかってなかったようです。)


(ンゴロンゴロ自然保護区のメインゲート。日本の企業の援助でリニューアルしました。私たちが訪れた前日に 開所記念の式典が行われました。ちなみにこの自然保護区はクロサイが有名ですが10頭しかいないそうです。)

翌日はキリマンジャロ地域に多いチャガ族の人たちの村を訪れ、コーヒーの木の栽培の様子、収穫などの工程を見せてもらい、実際自分たちでコーヒー豆を炒って粉にし、コーヒーを飲んだりしてきました。母と叔母はこのプログラムが大変気に入ったようでした。こういった観光客の案内で得たお金で村の学校の教室を建てるなど公共の目的にいくらか使っているそうです。私も初めての体験でとても興味深かったです。

(チャガ族の人がコーヒーの豆のことや栽培のことについて教えてくれました。)

(チャガ族の伝統的な家の前で。100年以上前に建てられたそうです。)

ダルエスに戻り、別の小学校と洗車の仕事をしている元ドラッグユーザーのグループにちょっと寄り、なんとか挨拶周りは終了。自分のほうがホッとしました。

(オルドバイ渓谷の全体の眺め)


旅行最終日は日本大使の公邸にお邪魔し、旅の思い出などを大使に報告しました。全部で7家族が参加したのですが、みなさん色々な体験をされてたくさんのことを報告されていました。空港へお見送りに行くと、ブザ小学校の校長先生が来てくれました。慌しく空港内に母と叔母が入り、なんと、そのあと遅れてお土産を持ったPTAの会長さんが到着。。。Pole sana. まあこれもタンザニア。

見送りのあと、校長先生たちと一緒にダラダラに乗ってテメケに戻ると、活動仲間の青年と職業訓練校の生徒たちに偶然会うことができました。テメケの皆の顔を見て安心している自分がいて、戻るべきところに戻ってきた気がしました。タンザニアを旅行したのですが、別世界に行っていたような気分ですし、かなり散財したように思います。Nimefuria!(破産しちゃった!)って毎回みんなに言っているこの頃です。

Tutaonana