2010年1月26日火曜日

太陽の力で電灯が灯った!

Hamjambo?

 タンザニアでは新学年が始まりました。任期も2ヶ月を切りタンザニア生活もあとわずかですが、帰国前になんとか少しは憶えたいと思って去年の後半から太鼓を教えてもらっています。基本のビートをいくつか教えてもらってひたすら叩き続けるのですが、私が太鼓を叩いているとそれにあわせて周りの人たちが太鼓や他の楽器を演奏したり歌を歌ってくれるのでとても気分がよく、ちょっと楽しくてやめられません。

(皆で練習していると近所の子どもたちも集まってきます。周りの人が上手なので、一緒にやっていると自分もうまくなった気分に・・・)



(この子はあんまり笑わないのに、太鼓を触ったり叩いたりするときだけにっこりします。将来は彼も太鼓を叩いてるのかもしれません。)
 

 さて、昨年からの懸案であった村の小学校にソーラーパネルを設置する工事が無事に終了したので、新学期にあわせてソーラーの様子などを視察しに行ってきました。今回はJICAのボランティア調整員の方も一緒に来てくださいました。またなかなか行けない場所なので同じ役所の別部署に配属されている他の隊員も同行しました。たまたまその日役所に来ていたその学校の先生も学校へ戻るのに一緒に車に乗っていきました。役所が遠いので彼は前日から役所近くの親戚の家に泊まっていたそうです。
(電気が全くなかったところに電灯が灯りました。明るい!)

 さて、学校に到着してまずは教員住宅のソーラーシステムの様子を見に行きました。予算の都合もあって3棟ある教員住宅に同じような規模のシステムをつけることはできず、一軒だけにテレビも見ることが出来る大きなシステムをおきました。テレビを見たければ共同購入して一緒に見てもらおうという考えです。各教員住宅のソーラーシステムは異なるので使うことのできる電気器具も異なることは設置前に教員側と話をしていたはずなのに、行ってみるとその辺り忘れていて仕方なくもう一度説明し直しました。

 でも、基本は電灯、携帯電話の充電、ラジオの使用ぐらいはできます。これまで先生たちは携帯電話の充電のために7~8キロ離れた村まで行っていたようです。こういう村でよく起こるのは都会育ちの先生たちが村の生活に耐えられなくて学校を辞めてしまうことです。先生が来なくなってしまうと当然子どもも学校に来なくなってしまいます。実際、タンザニアでは小学校の先生は9割方女性なのに、この村の小学校は生活環境が大変なせいか教員は全員男性です。校長先生のみが地元に家を持って住んでおり、ほかの先生たちはみな教員住宅に住んでいます。

(写真が悪くてすいません。椅子の上に教科書が載っています。その横には携帯電話がたくさん!村の人たちがお願いに来るそうです。)

 校舎にもシステムを置きましたが、将来的にはテレビを村人の寄付や役所からの支援で共同購入し、子どもたちの教育はもちろん、村人の集まる場となることが期待されます。今のところは村人がこぞって携帯電話の充電をお願いにくるようで、バッテリーの近くにたくさん携帯電話が置いてありました。この小学校の子どもたちにHIV・AIDSの知識について調査したことがありますが、基本的な知識が欠けていると感じました。ラジオぐらいは聞けるでしょうが、新聞も買うことができないし、メディアが十分に届いていない僻地ならでは問題かと感じました。

今回のシステムの設置資金は役所と小さなハートプロジェクトを通じて全国電力関連産業労働組合総連合様からの寄付でまかないました。校舎見学が終わったあとには子どもたちに日本からの寄付について、「電力関連の会社の人たちが電気のない村の小学校のことを知って助けてくれた」というような説明しました。これから先生にも生徒にもこのソーラーシステムを末永く大事に使って欲しいと思います。

Tutaonana

(この小学校の生徒たち。校舎の上にソーラーパネルが載っているのがわかりますか?)

2010年1月13日水曜日

キニャゴ・シアター・グループ

Hamjambo?

 今日はザンジバル島の独立記念日で祝日でした。今日は朝から近くのグループが昼間空いているバーを借りてお芝居と踊りの練習をするので、見に行ってきました。6日連続の集中練習ということで、体力向上の目的もあり、私もストレッチや柔軟体操を教えたり、一緒に基礎体力作りのところだけ参加してきました。久しぶりに運動して筋肉痛になりそうな予感です。


(基礎体力作りということで、こんなこともしてました。場所は近くのバーです。)

 さて、先日の日曜日には今日行ったグループとは別グループの年度初めの会議に招待されました。このグループは青少年セミナーで協力したKinyago Theater Groupといいます。何度もブログに書いていますが、このグループのリーダーには特別支援校でのハーモニカ指導でも大変お世話になっています。ダルエスサラーム在住の日本人の方ともハーモニカ支援が縁で仲良くしているので、私を含め3人の日本人がこの会議に招待されました。

 この会議の主な目的のひとつは、Kinyago Theater Groupが本格的に活動を始めたのが去年のことなので、正式にグループとして活動を始めたことを地域の役人や他のグループの若者にも知ってもらうということでした。タンザニアの伝統音楽を仕事として収入を得たいという彼らですが、同時に将来は地域の若者のネットワークの中心となり、若者たちに色々な情報を発信し、HIV・AIDS、薬物、女性差別などの問題に取り組み、若者が問題行動に走らないよう働きかけたいという大きな夢も持っています。そういった活動の目標やグループ結成の目的についてもこの会議で語られました。

 途中、彼らの演奏や姉妹グループのお芝居なども披露され、知らないうちに近所の人もたくさん集まっていました。会場は与党CCMの事務所を借りて行われ、地域の役人やこの地区のCCMの責任者なども最後に意見やアドバイスの言葉を述べていました。私も友人として彼らの活動を陰ながら応援してきたので、意見を求められ、冷や汗をかきながらもなんとか皆さんの前で短いスピーチをスワヒリ語でさせてもらいました。

(会場の後ろには机などが転がってます。ここは政党の事務所で、道端で野菜や魚などを売る人たちが夕方になるとこの机を運び出して商売を始めます。)


    (地域の役人。グループを激励する言葉を述べています。演奏の途中には御ひねりも渡しに行っていました。)

 このグループは都会のダルエスサラームで純粋にタンザニアの伝統楽器のみを使って演奏や踊りをして収入を得たいという人たちの集まりです。若者の雇用が少ないことも関係しているのかもしれませんが、芸術あるいは芸能を主な活動としているグループはテメケにたくさんあります。ですが最近はお芝居をビデオで撮影してそれを売るとか、電気ものの楽器を取り入れるグループが増えてきて、彼らのように純粋に伝統楽器の演奏や踊りで聴かせようというグループはもちろんあるものの、どちらかというと少なくなりつつあるという話も聞きます。

その中でKinyago Theater Groupのメンバーはみんな伝統楽器だけの演奏というこの活動が好きでたまらないというのが伝わってきます。でも、正直これだけで食べていくのはなかなか厳しいだろうなぁとも感じます。タンザニアではHIV・AIDS啓発などのイベントでこういった伝統音楽の演奏が使われることが多く、援助団体や役所から仕事をもらったりするグループも結構あります。Kinyagoのメンバーの何人かは別の仕事もしていますが、別のグループと掛け持ちをして芸能、芸術だけで食べている人もいます。




(みんな演奏や踊りの経験が豊富で、自分たちで歌、演奏、踊りも考えます。女性のダンサーを増やしたいそうです。)

 日本人にとっては、ものすごく有名人というわけでもない一般の「アーティスト」という立場の人が商業公演などもせずに一体どうやって生計をたてているのか理解しがたいことだと思います。私も理解するのに時間がかかりましたが、テレビなどのメディアもまだ100%行き渡っていない場所で様々なメッセージを人々に届けるためにまだこういった人たちの力が必要だということ、日常生活の中に伝統楽器の演奏がまだ必要な部分があるということ、あとは「暮らす」ということに対する日本人が持つイメージとの違いもあって、決して楽ではないでしょうが彼らはなんとかこういった活動で「生活」をしています。

大変だなぁと思う半面、好きなことをして暮らしている彼らが幸せそうにも思えます。リーダーの大好きな言葉は「Never Give Up」。あきらめず、大きな夢に向かって頑張って欲しいと思います。

Tutaonana

2010年1月6日水曜日

タンザニア v.s. コートジボアール

Heri ya Mwaka Mpya!! あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

昨日、今日はあちこちで新年の挨拶が交わされる毎日です。「あけましておめでとう。無事に年を越したのね。」なんていうちょっと日本的な挨拶を思い起こさせる表現もあり、相変わらず暑い毎日ですが、今年は土日も合わさって日本のように元旦から三日間休みだったこともあり、年がかわってまた心機一転というような初々しい気分になっています。さらに年末は隊員やJICA関係者でお餅つきをしたり、年越しそばをご馳走になったり日本のお正月も少し味わえました。年が明けてからはタンザニア人の友人の親戚宅にお呼ばれして家庭の雰囲気を味わったり、普段は忙しくてあまり相手をしてあげていない大家さん宅の子どもたちと遊んだりのんびり過ごしました。

 さて、仕事はじめの昨日、仕事が終わってから配属先の目の前にある国立競技場へサッカーの試合を見に行ってきました。タンザニア対コートジボアールのナショナルチーム同士の国際試合です。私はスポーツを見るのは好きですが、どんなチームに誰がいるとか、どこが強いとか選手の名前も詳しくはありません。でも配属先の目の前で頻繁にサッカーの試合が行われているので、帰国前にいつかは一度試合を見に行きたいと思っていました。年末にそのことを配属先の人に言うと、彼はよくサッカーの試合を見に行っているようで、年明けに国際試合があるから行こうと誘ってもらいました。

(国立競技場に続く道路わきに立ったフレンドリーマッチを知らせる看板)


 試合のあった当日の朝、その同僚がチケットを買ってきてくれました。値段は日本円でおおよそ1000円弱で、いくつかあるランクの真ん中ぐらいの値段です。この試合がどれだけ注目されているのかわかってなかったのは自分だけで、朝からどこへ行ってもその日のサッカーの試合の話をみながしていました。サッカーファンの方には本当に失礼な話ですが、コートジボアールってすごく強いチームだったみたいですね。レギュラーほぼ全員がヨーロッパのリーグで活躍しているらしく、また一番人気のディディエ・ドログバはイギリスのチェルシーで活躍していて、彼を肉眼で見たいがためにたくさんの人がスタジアムに集まったと翌日の新聞でも報道していました。

(ゲートをくぐって急ぎ足でスタジアム内に向かう人たち)

 それにしても、国立競技場の前をほぼ毎日歩いて配属先に通っていますが、新しい大スタジアムに入ったのはこれが初めてでした。小さ目の旧スタジアムには何度か入ったことがあったのですが、全く比べ物にならないくらい新しくてきれいで大きくてびっくりしました。これを作ったのは、以前にも書いたかもしれませんが中国で、なかなかやるなぁと思いました。大スタジアムの観客の収容人数を考えると元が取れるような人気の試合でしかここは使えないようで、普段の「並」の試合は旧スタジアムで行われるそうです。ですが、この日は大スタジアムがほぼ満席という状態でした。ついでに大統領も見に来ていて、いかに注目された試合だったかわかっていただけると思います。

(試合開始直前。両チームが向かい合っています。青がタンザニアの「タイファ・スターズ(国家の星?)」でオレンジのユニフォームがコートジボアールの「ザ・エレファンツ」です。)


 試合は体の小さいタンザニアチームが頑張って走っていましたが、前半、注目のドログバが1点を決め、結局その1点が決勝点となりました。本当に、遠めに見てもコートジボアールの先週は手足が長くて背も高いのに、タンザニアの選手は小さい選手が多いのがわかりました。タンザニアは出場できないらしいですが、コートジボアールはアンゴラであるアフリカカップの前の練習試合みたいな感じだったようで、前半はフルレギュラーメンバーでしたが、後半はゴールキーパーも含めて選手全員総入れ替えしてレギュラーメンバーは休憩。。。それでも観客はすごく楽しんでいたように思います。みんなタンザニアの応援に必死で、ゴールが決まらなかった時の反応やタンザニア人のプレーヤーがいいプレイをした時のみんなの反応を見ているのもおもしろかったです。どっちを応援しても良かった私ですが、やっぱりタンザニアを応援してしまいました。

(何かと腕を振り上げてプレーヤーのプレーに反応してる観客の人たち。最上階まで人で一杯です。)

 帰りは試合終了5分ぐらい前には出て、別の同僚の車で家まで送ってもらいましたが、道路にはすでに人があふれ、車も渋滞という状態でちょっと大変でした。翌日の新聞には午後7時から始まる試合のために午後の2時ぐらいから家でテレビを見ようと自宅に向かう人や国立競技場へ向かう人で道路が渋滞したそうで、逆に7時前には渋滞が収まっていたと書いてありました。

(スポンサーはビール会社のセレンゲティ。マスコットの豹さんたち。自分たちのスポンサーの看板が倒れたので自分たちで立て直しています。) 

さて翌日の今日。私は配属先の人ほとんどみんなに「昨日サッカー見にいったんだって?」と挨拶するたびに言われました。そのうわさの広まる速さと範囲の広さに驚かされましたが、どこかみんな私がサッカーを見に行ったことを嬉しいことのように話すのを聞いて、全く嫌な感じがしないし、自分もタンザニア人と一緒の話題で話したり、一緒の時間を喜んだりできたことがなんだかとても嬉しくかつ愉快な感じがしました。まあでも帰りの大変さを考えると、直接見に行くのはこれが最後かもしれません。


Tutaonana