2008年11月23日日曜日

配属先が新聞に載ったこと

Hamjambo!

 今日は土曜日。ダルエスサラームで、日本・タンザニア フレンドシップ 空手大会が開催されました。空手隊員も活躍し、少しのぞいてきました。タンザニアでもいくつかの地域で空手教室があるらしく、10ぐらいのチームが参加していて驚きました。でも、見ていると、空手はともかく、日本の挨拶の「礼」とか、やっぱり彼らにはちょっと難しそうだし、慣れてなかったように見えました。

 さて、今日は私の配属先、ダルエスサラーム市、テメケ区役所、教育課が管理している学校で起こったちょっとした?事件についてです。。




     (私の配属先、テメケ区役所です。立派な建物だけど、教育課は別棟の平屋です。。。)

 この月曜日、突然、私の同僚が学校視察に行くことになり、ついていく事にしました。


 まず、一校目の学校へ行くと、先生たちが外でお茶を飲み、子どもたちが遊んでいます。「この学校は休み時間が長いなぁ~。」と思っていました。


次の学校では、生徒たちは全員教室に居ますが、先生たちは外で集まっておしゃべり。。。


次の学校は中学校でいつも通りに授業をしていました。


この訪問は、実はいつもの訪問とは違って、全国的に展開された先生たちのストライキの状況を見に行くというものだとあとで知らされました。先生たちは数年間お願いしても据え置きになっている昇給や休暇などのお願いや、給料の未払い等が100%満たされるよう要求しているとのことでした。


さて、帰って教育長に状況を報告し、その日、私は同僚と帰宅しました。


次の日。火曜日は一番近くの小学校へ教えに行く日。この日もストライキが続いているとは聞いていましたが、一応学校へ。生徒は教室、先生は職員室の状態。でも私が行くと、「授業をしてね。」と言われて、とりあえず自分ひとりでディクテーションの練習をさせました。


そして!!ここからが、びっくり。区役所に帰ってくると、区役所の周りに子どもが制服を着たまま走り回っています。それもなにやら歌のようなものを歌いながら。その数。200人以上はいたのでは。そして同僚は一人も事務所におらず、オフィスは扉が閉まっています。


どうしたのかと思うと「子どもたちがたくさんきたので、見に行ったよ!」と事務員の人に伝えられました。「Tunataka Haki Yetu!(僕らは僕らの権利がほしい!)と歌っていたよ。」と教えてくれました。



次の日の新聞を見ると、なんと私たちの所属するテメケ区役所の教育長さん(この方には本当にお世話になっています)のコメントが載っています。あの日、4校の小学校から来た子どもたちは教育長さんに、中には約7キロメートルの道のりを歩いて会いに来たのだそうです。そして、「次の日、試験なのに先生たちはストライキをして、授業をしてもらえません。先生たちの訴えを聞いてください。」というようなことを言って帰ったようです。


新聞に載った教育長のコメントは、「小さな罪もない子どもたちがこのような行動を起こさねばならなかったのは、残念また遺憾に思います。。うんぬん。。かんぬん」というようなものでした。


うーん。なんというか。小学生の子どもたちだけの考えでここまでできるのだろうか。。。と少々考えてしまいました。もしかしたら、先生のちょっとした入れ知恵があったかもしれません。それに7キロの道のりを子どもたちだけで歩かせるのもどうかと、個人的には思います。。。まあ、据え置きとなっている昇給等は2005年ぐらいからなので、先生たちの行動も無理がないのかもしれません。


その後、多くの学校で期末試験は予定通り行われたようです。また、先生たちの要求も一部、満たされたようで、掲示板にはたくさんの先生の名前と登録番号は張り出されていました。。。


めったにないことだったようですが、ちょっと驚きました。


教育長さんに、「あなたのコメントの載った新聞をとっておくことにしたよ!」と一応伝えました。教育長はいつものとおりのさわやかな笑顔でした。


Tutaonana

2008年11月15日土曜日

オバマはどこの国の大統領か!?

Hamjambo?

さて、小雨季も本格的。雨が降ると一部の道路は水に浸かってしまって通行が大変です。毎日乗るダラダラは深い水もなんのその、ものすごい勢いで大きな大きな水しぶきをあげ、なかなかのスピードで進みます。車はこんなに水につかってもまだ大丈夫なのかと関心してしまいました。

             (雨の日にひとつの傘を3人で使って学校に行く子どもたち)
さて、アメリカ大統領選、日本ではどんな報道だったのでしょう?大統領選の次の日、職場で、「日本に小浜って町があるんでしょ?町民がオバマのTシャツ着て喜んでるところをテレビでみたわよ。」って言われたんですけど、本当ですか???小浜町はタンザニアでも知られていますよ。(BBCなどで世界各国の放送がここでも見れるようです。)

大統領選はタンザニアではみんなの関心の的。オバマ氏が大統領に決まった次の日、みんなとても嬉しそう。「オバマが勝ったわね。とても嬉しいわ!」とか「今日はお祝いにビールを飲むわ!」と言っている人もいました。その喜び方は、自分の兄弟や家族のことを喜ぶような様子です。ラジオでも、オバマ氏が大統領になったことについて一般のリスナーがコメントを述べるという番組が次から次へ。一日中、オバマ、オバマ。新聞もオバマ、オバマ、オバマ!

私がいつも行く食堂でも、熱い議論が交わされていました。スワヒリ語がまだ不十分なので詳しくは何を言っているのかわかりませんでしたが、ビールを飲んでいるおじさんと、食事をしているお兄さんの議論が白熱!!ついに・・・

おじさん:「○×☆△・・オバマ!・・○△☆・・マレカニ(アメリカ)!○△・・・!!!」(最後に机をたたく。昼間から少々酔っ払っていたのかもしれませんが。。。)

おじさんは大興奮!最後は大声になり、食事をしていた私はびっくりして飛び上がりそうになりました。おじさんは途中で用事を思い出したみたいでしたが、「すぐ戻る。そのあと続きだ!」と出て行き、タンザニア人にはめずらしく(タンザニアでの「すぐ」はあてにならない気がします。。)、約束どおりすぐ戻り、議論は続きました。途中やっぱり大声。

でもオバマ氏ってアメリカの大統領ですよね。タンザニアとの関係は?というと。

1. オバマ氏のお父さんはケニア出身であるので、身近に感じる。(ケニアはタンザニアの隣の国。でもねぇ。近いけどタンザニアの出身じゃないのですよね。)
2. アフリカにルーツを持つ「黒人」初のアメリカ大統領。同じ肌の色ということかな。ちなみにオバマ氏のお母さんは「白人」らしいですね。
3. アフリカへの援助が変わるかもしれない、多分、増えるのではという期待?
これはあくまで私の考えです。

しかし、タンザニアでは「黒人」であることで、差別される可能性があると感じている人が多いのかもしれません。その「黒人」であるオバマ氏が大統領になったことの意味はここではとても大きいのかもしれません。

時々、タンザニア人の中にも「日本ではこの肌の色だと問題でしょう?」というようなことを尋ねてくる人がいます。「日本人は黒人と話をしてくれるの?」というようなことを聞かれたこともあります。

「日本では全然問題ないよ。」と私は答えています。そうすると、相手はとても安心します。私は日本に住む多くの人は良識のある人間だし、日本はいい国だと信じているのですが、みなさんどう思われますか?

Tutaonana

2008年11月1日土曜日

タンザニアの日本人~その2~

Hamjambo!

 タンザニアでは1月頃が一番暑くなるそうですが、その前に小雨季があるそうです。このところ、ちょくちょく雨が降り、そろそろ小雨季に入ったかなぁと思うことがあります。先日も一日中雨が降っていました。この日の朝、雨が止みかけていたので、傘を持たずに出かけて大変な目にあいました。。。。

 さて、もう少しだけ前回の続きです。

 日本の車はたくさん走っているのに、この国の人は東洋人を見ても日本人と思うことはほとんどない、ということはおわかりいただけたと思います。中国人、日本人、さらに韓国人の区別は難しいようです。ジャッキー・チェンやジェット・リーは日本人と思っている人にも何人か会いました。。。

さらに困ったことが。。。

職場でのある日の会話

同僚:  「さて、ノリコ、私は質問があるの。」(いかにも難しいことを尋ねるような調子。)
私:    「何?」
同僚:  「どうして、日本人はみんなそっくりなの?」(あくまで真剣)
私:    「えぇ~!!?? いやいや全然ちがいます。」(のけぞりそうになった。。。)
同僚:  「ほら、前にいた日本人の○○さんはあなたにそっくりよ。」
私:    「えぇ~!!!」(写真をみたけど、目がぱっちりしていて私と大違いだぞ!)
同僚:  「それに、別の課に今いる○○ちゃんもそっくりだし。」
私:    「う~ん。それは。。。」(二人とも眼鏡をかけているけど。。。)

こんな調子なので、「私がクラスメートと一緒に撮った写真だよ。」と言って写真を見せても、「この子はあなたの妹?」などど、真面目な顔をして聞いてきます。いやいや、彼女の場合は私と全然ちがう顔立ちだぞ~!!これはありえない。よく見てよ!とめちゃくちゃつっこみたくなりますが、あくまで相手は真剣です。

こんな調子なので、同じ隊員を紹介する時に「兄弟です。」とか「姉妹です。」と言ってもみんな普通に信じると思います。そんなにアフリカに兄弟姉妹が来てるわけないぞ~ということはきっと考えないと思います。(でも、数回しか試したことはないです。ですが、すぐ信じるので慌てて否定しました。)

私のほうはタンザニア人の顔だちに慣れてきて、「そっくりで区別がつかない」ということは殆どありませんが、時々、ある人のことを全く別の人と思い込んで話しかけたりしたこともあります。まあお互い様なんでしょうかねぇ。。。

この点、ほかの国にいる隊員の方にどんな体験をしたのか尋ねてみたいものです。

Tutaonana

2008年10月25日土曜日

タンザニアの日本人

Hamjambo!
 
 こちらに来てから4ヶ月が過ぎました。青少年活動については、まだまだというのが正直なところです。ですが、少しずつオフィスを出て、学校や若者のグループを訪問することも増えてきました。

 自分の職場は、これまで日本人のボランティアを3人受け入れていたので、「日本人」には慣れていると言えます。しかし、一歩そとに出て、それこそ町の中心部から離れると、「私」という人間は注目の的です。協力隊員は世界各国どこでも同じような体験をしているのではないでしょうか。

さて、色々と声をかけられますが、タンザニア人が私のことを何と呼ぶかと言えば。。。。

1.「チナ(中国人)」
2.「ダダ(お姉さん)」
3.「ママ(おばさん??ってことか!?)」
4.「ムズング(白人)」

このあたりでしょうか。しかしながら「チナー!!!」と呼ばれることが圧倒的に多いです。ダラダラに乗っても、「チナー、どこに行くんだい?」「チナー、ちょっと奥へ席を移動してよ!」とか。。。

 タンザニアの東洋人で一番多いのはたぶん中国人でしょう。自分たち日本人は微妙な違いで日本人か中国人かなんとなく判断できますが、タンザニア人にとってはみんな同じ。仕方ありません。

 面倒くさいので、黙って聞いていることがほとんどですが、たまに、悪意があるかと思われる、こちらの気分を害するようなしつこい人がいるので、そういう時は「私は日本人よ。」とあえて言うこともあります。

 あとは子どもたち。仕事で通っている学校の子どもたちはだいたい理解してくれているので、「ムワリム(先生)」とか「ノリコ」と呼びますが、初めて行く学校の子どもたちは一斉に「チナー!チナー!」と屈託なく面白がって呼びます。今日もまた。。。

今日の会話はこんな風でした。

子ども:   「チナー!チナー!へーホーフー」(中国語がこう聞こえるらしい)
私:     「ンジョー!!」(こっちへいらっしゃい!)
こども:    「・・・・」(恐る恐る来る)
私:      「誰が私のことを中国人って教えたの?」
こども:    「あっちにいる子。。。」
私:     「いい?大人に会った時まずなんていうのよ?」
子ども:   「・・・・」
私:      「シカモー(目上の人への挨拶)って言うのでしょ?」
子ども:   「シカモー」(ちょっと声が小さい)
私:      「それに私はノリコっていう名前で、日本から来ているの。」
子ども:   「・・・」(意外な答えに驚いたようだった)

今日会ったもっと小さい子たちは、「私はノリコって言うんだよ。」と伝えてから「日本から来たの」というと、まさに「ほぅー。」となんとも言えない声を発していました。こちらの勝手ですが、小さい時からの教育が大事だと思うので、あえて子どもに説教したりすることもあります!?自分のスワヒリ語はまだまだですが、この手の会話は哀しいことに慣れてきました。

あと、大人でたまにあるのが、「ムズング(白人)」を連発する人です。これもしつこく言われると正直、気分が悪くなります。

人間、自分のことを誤解されると気分が悪くなるのだというのを、再認識します。

しかしながら、こういう状況を逆の立場で考えると、「外人、外人」と色々な国から来ている人たちをまとめて呼んでいることが日本でもまだありますが、これも同じことですよね。

私は名前がわからなければ、タンザニア人がタンザニア人を呼ぶように呼んで欲しいです。

あっ、でもやっぱり「ママ」と呼ばれるのはちょっと。。。「ダダ」がいいなぁ。わがままですかね。

Tutaonana 

2008年10月18日土曜日

10月14日はニエレレの日

Hamjambo!  (今回は最後に貴重な写真を載せました!?

 ダルエスサラームはこのところ、少しずつ暑さが増してきているように感じます。タンザニアは南半球に位置するので、12月、1月が1年で一番暑くなります。タンザニアは今、まさに夏に向かっているといったところです。乗り合いバスのダラダラの中の気温も上昇中で、まさに汗がダラダラ。。。。
 
 さて、タイトルの「ニエレレ」とは、タンザニアの初代大統領の名前です。10月14日は『ムワリム(先生)、ニエレレの日』という国民の祝日で仕事も学校も休みになります。
 10月14日はニエレレ氏が亡くなった日です。彼は1999年の10月14日にロンドンの病院で亡くなりました。ラジオからはニエレレの歌を聞くこともあります。小学校などで教えているようで、タンザニア人なら誰でもこの歌を歌うことができるのではないかと思います。
 
 ニエレレ氏は国民にとって、指導者であり、師であり、『国家の父』でもあり、亡くなってから10年近く経った今でも大変尊敬されています。なぜこれほどまでに尊敬されているのか、タンザニア人が考えるのは以下のような理由のようです。

1.イギリスの統治から独立を勝ち取った!
2.しかも、一滴の血を流すことなく!
3.国連で、「英語」ではなく、初めて「スワヒリ語!!!」で演説をし、独立を訴えた!
4.タンガニーカ国とザンジバル国の統合に成功し、タンザニア連合共和国の建国に成功した! (ザンジバルはイスラム教徒90%以上の島)
5.しかも平和的な手順で!
6.スワヒリ語を国家の言語とし、多様な部族を統一した!(おかげで今ではどこでもスワヒリ語で意思疎通ができる!)

・ ・・などなど、彼の功績は大きく、また人間的にも尊敬されていたようです。合計で、24年間もの間大統領の座に就き、最後は自ら権力の座から退きました。


さて、学校や職場、お店などにはニエレレ元大統領の写真、キクウェテ現大統領の写真の2枚が飾ってあるところがたくさんあります。私の働いている区役所の教育課でも、教育長の部屋にはこの2枚の写真が飾ってあります。

(ボロボロですけど、こちらの1000タンザニアシリング札です。ニエレレ大統領の肖像が印刷されています。)


 現在の大統領のキクウェテ氏もかなり尊敬されている人物と言えますが、この国家の父、ニエレレ氏を超えるのは難しいでしょう。キクウェテ氏の写真は、残念ながら任期が終われば別の人物の写真に張り替えられるのかもしれませんね。

Tutaonana


おまけ!


 ニエレレの日にダルエスサラームの海に行きました。100シリングでフェリーに乗って対岸に渡るととても海がきれいです。ここはプライベートビーチ、5000シリングかかります。日本円だと500円ぐらいだけど、毎月約4万円で暮らす隊員としてはちょっと贅沢した感じです。私ちょっと太りました???

2008年10月4日土曜日

ダルエスサラームという都市

Hamjambo!

10月2日はラマダン最終日。10月1日と2日は祝日でした。でも、この祝日がくせものです。満月かどうかを2,3日前に確認して決めるので、直前までいつが祝日かはっきりわかりません。日本人的には「なんでや!!」と思ってしまいます。だって、満月って計算すればわかるものじゃないのですか??? 祝日が直前に決まるということが理解できず、祝日がいつなのか尋ねても、「月に左右されるからわからない。」と答えるタンザニア人になんで教えてくれないのかとイライラしていました。でも、本当に分からなかったみたいです。。。。

(ミレニアムタワーというビルの上から撮影したダルエスサラーム市、緑も結構ありますね。)


さて、今回は私が住んでいるダルエスサラームを写真も載せて紹介したいと思います。写真をこれまでにも載せたかったのですが、ダルエスサラームでは気軽にカメラを取り出して撮影するのは安全上、少々はばかられます。また、公共の施設には撮影することを許されない所も多いですし、勝手に撮影されるのを嫌う人も多いそうなので、写真を撮るのは気を使いました。
 ダルエスサラームの中心部は道路もきれいに舗装されていて、バスのダラダラも含め、だいたい車の90%以上は日本車なので、景色を見るとあまり異国に居る感じがしない時があります。中心部はオフィスビルが結構あり、ビジネスマン、キャリアウーマン風のタンザニア人をたくさん見かけます。また、中心部は100年ぐらい前に移住したインド系の住民も多く、彼らにスワヒリ語で挨拶しても、英語で返事が返ってくることも多いです。

(町の真ん中です。ちょっと高いビルが集まっているところです。日曜日なので車は全く見えません)


 一方で、中心部を車で20~30分離れ、私の職場のある南部のテメケ区へ行くと、多様な景色に出会います。ごちゃごちゃと住宅が建ち、都市周辺の人口密集地もあります。日本の消防法が適応されたら絶対にアウトと思われるほど、細い路地の奥にまで家が建っている所もあります。 
 また、フェリーで 湾の対岸に渡ると、そこはまさに「村」です。ここもダルエスサラームのテメケ区になります。青い海が見え、未舗装の道路、家はまばらにしか建っていません。牛も見かけます。歩けば牛の糞があちこちに落ちています。

(道路の向こうに市場が少し見えます。右側のマイクロバスがダラダラです。行き先によってストライプにペイントされている部分の色が違います。先日、「四日市」という文字が残ったままのダラダラを見かけました。)


 中心部の海岸沿いはホテルもいくつかあり、世界遺産のあるザンジバル島に行くフェリー乗り場があります。また、北部の半島の先はちょっと高級な住宅が多いように思います。ここはテメケとは別の区になりますが、青い海、リゾートホテル、高級住宅、ショッピングモール。。。同じダルエスサラームでも様子が違います。

(スリップウェイというショッピングモールから見た海。対岸はホテルが何軒か建っています。)


 ダルエスサラームの住民はタンザニア各地の出身者で構成されているように思います。上にも書きましたが、インド系の住民も町の中心にはたくさんいます。また、外国人も結構見かけます。東洋系で言えば、以前に社会主義だったことも影響しているのか中国人も多いようで、中華料理屋もたくさんあります。また、世界各国の料理をここで食べることができます。(ただし、お金があれば、、、ですけれど。)
どうですか?ダルエスサラームに来てみたくなりましたか?

Tutaonana tena

2008年9月21日日曜日

タンザニアの食べ物

Hamjambo!

ラマダンも中盤を過ぎ、自分の住んでいる場所の近くに大きなモスクがあるので、このところ夕方になると道路にたくさん車が停まっているのを目にします。夜の10時ごろから太鼓や歌が始まったり。。。にぎやかな夜です。こちらでは、断食を途中であきらめた人のことを、「Kobe(カメ)」と呼ぶようです。同僚の説明によると、「カメは何でも食べるからだ。」ということですが、本当かなぁ。。。職場にはキリスト教徒の人も居ますから、断食している人の前でチャイをしようとすると、「カメになったのね。」と言われてしまいました。お水も日が暮れるまで飲みませんから大変ですが、イスラム教徒の人には「慣れたら大丈夫。やってみたら?」と言われます。

さて、タンザニアでどんな食事をしているのか気になる人も多いのかもしれませんね。こちらは、野菜や果物も豊富ですし、ダルエスサラームは海が近いので魚介類も採れます。主食はウガリ、米、バナナ、ジャガイモなどなどです。お米も結構食べますし、お店に行っても普通にお米が食べられるので日本人としては有難いです。
(野菜や果物、どこでもだいたい手に入ります。道端で売っている人も多いです。)

 肉類は牛、鳥が中心です。イスラム教徒がいるので、豚肉は売っているところが全く別になっていますが、レストラン等でも結構食べられます。あとはヤギ、羊もあります。値段は牛が一番安くて鳥や魚は値段が高くなります。

タンザニア人に「好きな食べ物は?」と尋ねると、多くの人が「ウガリ」と答えます。お米もいいけど、やっぱりウガリみたいです。(トウモロコシの粉をお湯で伸ばしてこねたもの。ちょっとお餅みたいです。)野菜はトマト、キャベツ、にんじん、ジャガイモ、サツマイモ、ナス、オクラ。。。大体なんでもあります。葉っぱ物は、ムチチェと呼ばれる「ほうれん草」みたいなのや、チャイニージと呼ばれるちょっと白菜っぽいのがあります。ムチチェは油でいためて塩で味付けしたものが、必ず食事のつけ合わせで出てきます。 (タンザニア人のお家でご馳走になりました。彼女の住む地域はウガリよりお米をよく食べるそうです。)

 味付けは何でも塩、塩、塩です。塩だけですが、油でいためて、ココナッツミルクなどをいれてトマトで煮るとコクが出て、とても塩だけで味付けしたとは思えず結構おいしいです。塩分と油のとり過ぎに気をつけないといけないと感じるこの頃です。でも何でも醤油で味付けしていた日本の生活を考えると、塩分に関して言えば日本とそれほど違いは無いのかもしれません。ですが、やっぱり12月の健康診断がちょっと恐怖ですね。

Tutaonana

(お店で食べた、ウガリと鶏肉。2500シリンギです。ちょっときれいで高めです。日本円で250円から300円ぐらいです。)